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「挫折もあったけど、ラグビーが好き。その一心でやってきた」。沼澤健一郎[帝京大4年]、対抗戦初出場までの日々と夢
名護高校の1年生の時はNO8だけに走力がある。2年生時からHOでプレー。(撮影/松本かおり)

「挫折もあったけど、ラグビーが好き。その一心でやってきた」。沼澤健一郎[帝京大4年]、対抗戦初出場までの日々と夢

田村一博

 帝京大学のフッカー、沼澤健一郎にとって9月27日は忘れられぬ日となった。
 4年生にして初の関東大学対抗戦出場。秩父宮ラグビー場でのプレーも初めてだった。

 チームは日体大相手に113-7と大勝した。前半8で後半9。チームが挙げた17トライのうちの一つは沼澤が決めた。
 前半23分、ラインアウトからモールを組む。最後尾でボールを抱え、押していた背番号2は、相手の抵抗により停滞したモールからタイミングよく右に出てトライラインの向こう側にボールを置いた。

試合前、気持ちの入った表情。2003年7月2日生まれ。173センチ、100キロ。ワセダクラブ(3歳/小中)→名護→帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科4年。(撮影/松本かおり)


 ベンチスタートを試合の1週間前に告げられた。それが3日前、先発に変更された。緊張もあったが、「自分がやるべきことに集中して準備を重ねました」。
 いい精神状態でゲームデーを迎え、試合前のウォームアップにも高い集中力で取り組めたという。

 しかし序盤は不安定だった。
 開始1分ちょっとで迎えた相手ゴール前でのラインアウトは、結果的に確保するも、投げ入れたボールは後方に抜けた。5分過ぎのラインアウトも同様だった。

 9分過ぎの相手ボールスクラムではアーリープッシュの笛を吹かれた。10分過ぎのラインアウトではノットストレート。14分過ぎには相手ラインアウトで後方に抜けたボールを取ろうとしてノックフォワードとなる。

 やっと落ち着いたのが自らトライを挙げた時だった。本人も、「あれで硬さがほぐれた」と振り返る。駆け寄った仲間に祝福されて笑顔もこぼれた。
 スクラムは最初から優勢。乱れていたラインアウトも試合途中に修正できた。

 公式戦のひとつであるジュニア選手権への出場はこれまでもあった。
 チームの代表として戦うという意味では同じメンタリティーでこの日の一戦にも臨んだが、やはりAチームでの試合出場は違った。
「想像していたもの以上の経験になりました。次につながります」

 48-21と立教大を退けたチームの今季初戦をスタンドから見ていて、「帝京の強みを出し切れていないと感じていました」。
 そこを改善しようと取り組んだこの日のチームパフォーマンスについては、「アタックし続ける。流れの中で動き続けるという点は良かったと思います」とした。
 ただ、後半24分に奪われたトライからも目を逸らすことなく「日本一を目指す上で修正していかないといけない」とする。

日体大戦の前半23分、モールからボールを持ち出してトライを奪った。(撮影/松本かおり)


 自分自身にもベクトルを向け、「セットプレー、特にラインアウトはもっと安定させないといけない。大事な場面での精度が勝敗にも直結するので」と言い、「厳しい局面で、もっと体を張って動かないと」と自ら宿題も課した。

 真紅のジャージーの重みを感じてピッチに立った。晴れのデビュー戦を迎えるにあたり、「ラグビーの聖地、テレビで見ていた場所でプレーできたことも、このメンバーとプレーできたのも嬉しい」と心を躍らせながらも、「試合に出られない同期や後輩の思いも背負ってプレーしましたし、歴代の方々が着てきた2番のジャージーの価値を高めるようなプレーをしようと思いました」。

 3年生までの自分を振り返り、「なかなか先輩方の壁を超えることができなかった」と話す。最終学年でやっとつかんだチャンスに、「これまで帝京でやってきたことをすべて出すつもりでチャレンジしました」。

 目指すところにたどり着くまで時間はかかったが、やり続ける才能があったからこの日を迎えられた。
「ラグビーをやってきた人生の中で挫折は何度もありました。この春も、出たい試合に出られず、悔しかった。でもラグビーが好きで、その一心で目の前のことに全力で取り組み、一歩一歩、自分ができることを積み重ねることを大事にしてきました」

 3歳のときにラグビーを始め、中学までワセダクラブに所属した。
 中学卒業後の進学先に選んだのは沖縄の名護高校。小学生の頃、このスポーツの楽しさを教えてくれた銘苅(めかる)信吾コーチの指導を受けたくて南へ向かった。

 10代の半ばから慣れない土地で寮生活を送り、3年生の時には主将も務めた。
 高校からラグビーを始める部員も多い中でチームをまとめることに、おもしろさと難しさの両方を感じた。彼の地で過ごした日々は、「とてもいい経験になった」し「思い通りにいかないこともあった」。
 その両面が自分を育ててくれたと思っている。

日体大戦は後半28分までプレー。序盤乱れたラインアウトも修正した。(撮影/松本かおり)


 帝京大に入って、相馬朋和監督や前監督の岩出雅之顧問と出会う。新たな教えを得て高校時代の自分を思い出すと、当時の行動について「違う判断もあったと思うこともあって、未熟だったな、と感じました」。
 しかしそんな感覚になるのも、自分で考え、決断してきたからこそ。日本一チームの一員となり、「成長できる場所と思い、自分を見つめながら生きてきました」と話す姿勢には誠実さが浮かぶ。

 大学のゼミの先生や友人、東京に出てきている名護高校の同期、後輩たちが応援に駆けつけてくれたデビュー戦はゴールではなく、新たなるスタート。「日本一になるため、去年のチーム、先輩たち、きょうの自分を超えるため、一日一日を大事にしていきたいですね。(自分の中の)成長できるところを見つけて、次の相手にもベストパフォーマンスを出せるように挑みたいです」。

 ラグビー人生のゴールを、「銘苅さんの指導で受けたような感覚を、自分が子どもたちに経験させてあげること」とする。
 日本一になった感激。そこに到達するまでに感じた喜び、悔しさ、そしてラグビーのおもしろさなど、将来、多くのことを子どもたちに伝えられるような日々を歩んでいきたい。








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