![【Just TALK】「リーチさんの言葉って『入って』くる」。竹之下仁吾[日本代表/明大3年]](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/09/KM3_4034_2.jpg)
明大ラグビー部3年の竹之下仁吾(じんご)は、今春から継続的に日本代表活動へ参加した。
7月の対ウェールズ代表2連戦のキャンペーンおよびその事前キャンプ、8月中旬の宮崎合宿へ挑戦。同月下旬のパシフィック・ネーションズカップ開幕後も、2戦目以降をおこなうアメリカ遠征へ帯同した。
大阪の豊中ラグビースクール、兵庫の報徳学園中、高でプレーしてきたフルバックは、身長180センチ、体重86キロのサイズとジャンプ力が売り。エディー・ジョーンズヘッドコーチ率いるジャパンでは何を得たか。帰国直後の9月24日、取材に応じた。
——お疲れのところありがとうございます。まず、フィジー代表に27-33で惜敗した決勝戦。竹之下選手はウォーターボーイを務めました。
「バックアップのメンバーから選んでいるのか、あまり僕もよくわかっていないのですが、エディーさんから言われたのは『ウォーターボーイを任されたのは信頼されているから。責任を持ってやるように』。初めてやったので、緊張しました! しかも決勝の舞台なので」

——耳に入っていたインカムへは、佐藤秀典さんの通訳によるジョーンズさんの指示が飛んできます。
「例えばスクラムからのバックスのアタックをどうするか、上から指示が降りてきたら僕が(スタンドオフの李)承信さんに言って、それが遂行される感じでした。これでゲインできたシーンもあった。たまに、グラウンドへ入ってから、出ていくギリギリのタイミングで『〇〇と伝えて!』となる時もありました! …でも、いい経験でした」
——あらためて、日本代表に入ってどう感じましたか。
「考え方が変わった。これから本格的にラグビーでご飯を食っていける選手になりたい。(卒業後の進路に)社員選手とプロ選手って、あるじゃないですか? もともと考えてはいましたけど、やっぱり、プロになって、よりラグビーに集中できる時間を増やしたいと思いました。
インターナショナルのレベルって、自分が考えていたより高い。試合には出てないですけど、そう思いました。スタンダードを上げないと、これから先は残っていけないと痛感しました。
(日本代表同士の)15対15の練習で、フォワードの選手に『食らう』。でも、そういう強い選手がフィジー代表を『コンタクト、強い』と言っていたり、ラインブレイクされたりしていて。それと、想像ですけど、それよりもヨーロッパ勢のほうがフィジカル(のレベルは)、高いんじゃないかとも。想像の上のところにある。もっと、やらないと…」
ジョーンズHCは大学生選手の代表招集に積極的だ。
授業の出席率確保などを理由に急な招集に応じられない大学も少なくないが、竹之下は「大学の理解もあって、1~2年で単位が取れていて。先輩から『1~2年で取っておけよ』と散々、言われたので、その通りに」。前年度に20歳以下日本代表として長期間の欠席もあったが、平時はキャンパスで誠実さを示し、所属する政治経済学部の支えも得てきた。
この日も朝6時半頃からのアクティブリカバリーを経て、「1限」へ出た。
——あらためて代表について聞きます。印象に残った選手は。
「サム(・グリーン=スタンドオフ兼フルバック)は、プレー中にずっと喋っています。アタックの時も、ディフェンスの時も。
エディーさんに『オーガナイズ。声を出し続けること』という課題を言われたことがあって、その時にサムの名前が出ました。(指摘を受けてから)次の練習でサムを意識して見ると、『ハンズ(素早いパス)』とか、『(ライン上の)裏表』とか、(その時々の動きについて)『わかっているだろう』のままにはしない。
これを言われたのは結構前で、終わる頃には『オーガナイズは、よくなった』と言ってもらえた。サムから、たくさん学びました」

——さかのぼって対ウェールズ代表2連戦時は、ワールドカップ4度出場のリーチ マイケル選手が主将を務めていました。
「ラグビーノートを取りながらリーチさんの話を聞いていて、それが手元にあれば振り返られるんですけど…。ただ、『入って』くるんですよ、リーチさんの言葉って」
——その後は宮崎で揉まれ、当初選外だったパシフィックネーションズカップのスコッドに加わりました。
「宮崎が終わって大阪に帰っていたら、カナダ代表戦(8月30日/宮城・ユアテックスタジアム仙台/⚪︎57-15)があった日の夜9時半か、10時くらいに、(明大の)監督から電話がかかってきて。試合を見ていたらけが人が出た感じでもなかったので、『招集はないかな』と思ってお風呂に入っていたのですが…。その次の日が出発日だったので、(31日の)早朝の新幹線で東京へ戻りました」
——宮崎へ持参した荷物は都内の寮にあった。
「いつもは(部屋に)スーツケースをバン、と置いて、時間が経ってから整理するんですけど、その時は直して(片づけて)から大阪に行ってしまっていて!」
——大慌ての準備だったのですね。
「それにアメリカだったら散髪もできんと思って、急遽、切りに行って。午後3時くらいに成田へ。…こんな急に呼ばれるものなんや、と」
——結局、初キャップ取得はなりませんでしたが、貴重な財産を得られたようです。
「最後にエディーさんと1オン1のミーティングがありました。自分を呼んでいる意味について、『2027年のワールドカップ(オーストラリア大会)を狙える選手が代表でやることは、プラスになるから』と。
実はそれまで、ずっとモヤモヤで。合宿には呼んで下さるけど、試合に出られる雰囲気はないと思っていて…。自分のレベルが足りないのが(出番がないわけの)ひとつなんですけど…。
でも、エディーさんの最後の言葉で、ターゲットが明確になりました。『あ、(ずっと代表に名を連ねられたのは)そういう理由だったんや』『27年、狙えるんや…狙おう!』と。これからの取り組みは変わる。より頑張っていかないと」

——「取り組み」のフォーカスは。
「エディーさんには『キックとフィジカルをやれば、もっと上に行ける』と言われました。
最終日の強度の高い練習の時、キックオフを蹴ることがありました。ただ、最初は『ここに』と言われたのと全然違うところに蹴ってしまいました。
それで2回目は(スクラムハーフの福田)健太さんに任せようとしてしまったんですけど、エディーさんは『お前が蹴れ』と。
その後には『ミスをしても、俺はいままでやってきたんだからと自信を持てるくらい練習しろ。(歴代のニュージーランド代表スタンドオフの)ボーデン・バレットも、ダン・カーターも、毎日1時間くらい蹴っている』とも。
あとはフィジカル、特にスピード。それを上げたら、必然的に他も上がる」
クラブへは9月26日以降に再合流する。仲間たちは加盟する関東大学対抗戦Aで黒星スタートとあり、第3戦目以降に代表経験者が戻るのは心強いだろう。神鳥裕之監督は「プレーはもちろん、バックスラインのオーガナイズ、リード」を期待する。