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今年(2025年)の夏、韓国で初めてラグビーを題材にしたテレビドラマ、「TRY 〜僕たちは奇跡になる〜」が放映された。
韓国の芸能メディア「スタートゥデイ」は、最終回が放送された8月30日、『SBS金土ドラマ「TRY 〜僕たちは奇跡になる〜」が11話で最高視聴率7.3パーセント、首都圏6.2パーセントで同時間帯1位を占め、6週連続で週間および金曜ドラマ1位を死守する気炎を吐いた』と報じた(Netflixで全12話視聴可能)。
韓国で「ロッピ」と呼ばれるラ式蹴球は、同じ蹴球仲間のア式(サッカー)や米式(アメフト)に比べて、その認知度が極めて低い。
そのような状況にも関わらずラグビーが題材のドラマ制作が実現したのは、OK金融グループの全面的な支援あってのことだった。単なる企業協賛を超えた、韓国の国民にラグビーを広めたい思いが、ヒットドラマを生み出し、ラグビーの認知度を高める大きな役割を果たした。
かつて日本と韓国は、アジアの頂点を目指してせめぎ合った時代があった。
ドラマ「TRY」の第1話は、韓国が最後に勝利した2002年10月13日の、釜山での第14回アジア競技大会決勝シーンから始まる(45対34で韓国勝利)。
しかし、2003年に日本のラグビートップリーグが開幕してからは両国の実力差は大きくなり、15人制のテストマッチで韓国に白星が付くことはなくなった。

1995年に国際ラグビー統括団体IRB(現・ワールドラグビー)がプロ化を容認したことで、日本の社会人リーグ、トップリーグ(現在のリーグワン)に世界レベルのトップ選手、コーチの来日に拍車がかかった。日本に世界水準のラグビーが浸透し始めたことも差が広がる要因となっている。
2025年8月末の時点で世界ランキングは、日本13位、韓国36位となっている。
韓国スポーツはこれまで徹底した「エリートスポーツへの集中投資」によって、国際舞台で成果を挙げてきた。
スポーツ界の基盤が作られた1960年代、朝鮮戦争後の貧困から脱却することが国の最重要課題だった。
出場した国際試合では惨憺たる結果が続いたが、どうしても負けられない相手が一番近くにいた。
それが「北韓」(朝鮮民主主義人民共和国)と日本だった。
世界の舞台で両国に勝つという至上命題、そして国際社会で地位を高めるオリンピック金メダル獲得に向けて、1970年代に主要な施策が整備されていった。
1973年から始まった「体育特技者特例入学制度」(通称:四強制度)は代表的な施策の一つだった。
簡単に言えば、全国大会でベスト4に入った者が、その種目がある学校の推薦制度を受けられる制度だ。
つまり、全国ベスト4に入らなければその競技を続けられないケースが多くなる。「スポーツは入試と進学の手段」と言われる理由がそこにある。
国を挙げたスポーツ強化策は1976年モントリオールオリンピックで、ようやく韓国初の金メダル獲得という形で実を結んだ。
そして、1986年にソウルで開かれたアジア大会、1988年のソウルオリンピックの両大会では、初めて金メダル獲得数で日本を上回った。
「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済発展と共に、国際競技力が飛躍していった。しかし一方で、スポーツはごく一部のエリート選手だけのものとなっていった。

8月29日(金)〜31日(日)の3日間、韓国仁川市にあるハナグローバルキャンパスでOK金融グループウッメンラグビー部が主催するラグビーアカデミーが開かれた際、その初日のインタビューで、崔潤会長は真っ先にそのことについて語り始めた。
「純粋なスポーツの楽しみ方を広めたい。韓国でスポーツするものにとって、フェアプレーやスポーツマンシップよりも入試や進学が大切にされてきた過去がある」
そういった背景があるからこそ、「まずはラグビーを始めたばかりの中学生を対象に開催することになった」。
今回の2泊3日のアカデミーは、参加費無料で開催された。
崔潤会長は2021年2月1日、日本生まれの在日韓国人初の大韓ラグビー協会、第24代会長に就任した。
愛知県名古屋市で生まれ育った崔潤会長は、名古屋高校1年の時にラグビーを始めた。
名古屋学院大学時代は、愛知県の在日コリアンラグビーチーム「愛知闘球団」でプレーし、当時大阪の千里馬クラブで活躍していた呉英吉監督とも対戦している。
「当時から呉監督は上手かった。タックルに入ろうとした時には目の前から消えていた」と若かりし頃の対戦を冗談交じりに話す。
ラグビー協会の会長を務めた4年間、韓国スポーツが二度と後退しないために、代表強化や国内リーグの正常化、普及活動など、あらゆる施策に全力を注いだ。海外から学ぶために、日本をはじめとした各国協会との連携強化にも努める。昨年の再任選挙で敗れたものの、韓国ラグビーを発展させるための情熱が衰えることはない。

「私たちが少しくらい楽しんだら、そんなに大ごとなのか?」
数年前に韓国国内で放映された、1分43秒のナイキ(NIKE)のCM、最後のフレーズだ。
旧態依然で抑圧される学生スポーツの現場。学生たちは必死に我慢していた。
たまりにたまった鬱憤を振り払うように1人の女子生徒が立ち上がると、それに呼応するように次々とスポーツの本当の楽しさを追い求める選手たち。
1人の女子アーチェリー選手から放たれた矢が撃ち抜いたのは、金メダルだった。
粉々に撃ち抜かれたメダルのかけらは、金の紙吹雪となってあたり一面に降り注ぐ。
勝利至上主義と専制的なスポーツ指導を批判する衝撃的な内容だった。

【写真右】前大韓ラグビー協会副会長のチェ・ジェソプ氏が2日目に登壇。チェ氏は元韓国代表WTB。2003年の花園ラグビー場での日韓戦で初キャップを得た。アジアラグビー連盟の執行委員など国際的な経歴を持つ。本職はスポーツ科学の研究者で、現在複数の大学で講師を務める。(撮影/李鍾基)
今回のアカデミーの取材で、どうしても知りたいことがあった。
アカデミーに参加できなかったチームを含めて、おおよそ200名以上の中学生ラガーは、どんな経緯で強度が高いマイナースポーツ、ラグビーの扉を開いたのか。
参加者とコーチ数人に話を聞くと、小学生の時に地域のタグラグビーの体験教室に参加したことがきっかけだったと話す子どもたちが多かった。
中学校のコーチたちが、小学校でタグラグビー体験会を開くなど地道な普及活動を続け、それが確かな成果をもたらした。

ジュニア世代で新しい動きも始まっている。
京畿道にある富川(プチョン)Gスポーツクラブと始興(シフン)Gスポーツクラブのように、ラグビー部がない学校の生徒たちが所属するクラブチームの発足だ(Gはともに京畿道/Gyeong Gi-Doの頭文字)。
7月に開催された第36回大統領旗大会(中学生は7人制)では、始興Gスポーツクラブが全国の強豪チームを打ち破って優勝を果たした。
日本以上に少子化問題が深刻な韓国において、スポーツ普及の新しい可能性を示す快挙だった。
また、最近では国のスポーツ政策も「エリートスポーツ重視」から、徐々に「生活スポーツとの両立」にシフトし始めている。
2日目の夜には、大阪朝高ラグビー部の全国制覇に向けた挑戦を題材にしたドキュメント映画、「60万回のトライ」が視聴された。逆境の中、日本に住むヒョン(お兄さん)たちが戦う姿に「すごく誇らしかった。ヒョン(お兄さん)たちが韓国にいてほしかった」というコメントが印象に残った。
当時チームのキャプテンだった金寛泰氏も、学生たちとの座談会のために日本から参加した。
初めて韓国の中学生ラグビーを見た金寛泰氏は、「ポテンシャルの高さに驚いた。しっかりと基礎スキルを学んで試合経験を積めば、日本に引けを取らないと思う」と話した。


韓国のラグビー競技人口は1200人程度と言われている。日本の100分の1ほどの規模だ。
ドラマ「TRY」の中で、主人公のチュ・ガラムコーチ(ユン・ゲサン)は「ラグビーは非人気スポーツではなく、非認知スポーツなだけです」と話すシーンがある。
アメフトと混同されることが多かったが、昨年ネットフリックスで放映された「最強ラグビー」、そしてこの夏のドラマ「TRY」はラグビーの認知度向上とイメージアップに大きな効果をもたらした。
日本でもかつてドラマやアニメがきっかけで、スポーツが社会現象になった例は珍しくない。
ラグビーがもっと身近なスポーツとなり、日本のようにコーチングの向上と実戦経験を積み上げれば、日韓が再びアジアの中で競い合う日が訪れるかもしれない。
2024年の両国の双方往来は1200万人を突破した。
ラグビーを通じた交流がもっと増えれば、お互いにとって学べることがあるはずだ。
韓国でラグビーへの愛情が骨の髄まで染み込んだ大人たちと、がむしゃらに楕円球を追いかける子どもたちが、全力でTRY(挑戦)したラグビーアカデミーだった。

【写真上右】ビュッフェ形式の食事はメニューも充実でさすがのクオリティー。(撮影/李鍾基)
【写真下左】米から作られたジュース「シッケ」。優しい甘さが身体に染み渡る。(撮影/李鍾基)
【写真下中】2日間とも夜食で大量のピザが用意され、全員大喜び。(撮影/李鍾基)
【写真下右】アカデミーを後援したポカリスエット。暑い中、熱中症対策にも十分に配慮して開催された。(撮影/李鍾基)