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住む家は無くなったが、やる気と希望、そして優しさと自信は失わなかった。
前向きな気持ちも。
6月6日に東京サントリーサンゴリアスから退団が発表された木村貴大(たかひろ)は、新しい活躍の場を求め、この2か月、足を止めることはなかった。
きっと大丈夫。そんな思いで、サンゴリアス在籍時に暮らしていた家を6月28日に出ると家主に告げた。
しかしその時までに新天地は決まらず、家財道具をトランクルームに預け、実家のある福岡へ自家用車での旅に出た。
その途中も、新しいチームでプレーを続けるためのアプローチをやめることはなかった。
SNSでその日の走行ルートを発信。その途中で希望する人、チームなどを相手に、スクラムハーフのパスを教える試みもした。
その数は30を超えた。「必要とされる」ことをエナジーにして生きる31歳は、人を笑顔にすることが好きだから、次のステージへの不安を抱えながらも笑顔で子どもたちと触れ合う毎日を過ごす。

そんな人のもとには吉報も届く。
大阪に到着した時だった。知人を通してケニアのチームでプレーしながら、現地でアカデミー世代へのコーチングや、困窮地域へのラグビーの普及活動をしてほしいと連絡が入る。
ミーティングを経て渡航を決意。所属チームは決定していないが、やがて決定する。2026年2月には現地へ向かう。
そして、その前にトップイーストリーグ(Aリーグ)のクリーンファイターズ山梨でプレーすることも決まった。
知人を通して同チームへアプローチ。自分を必要としてくれる気持ちを感じて決断。2025-26シーズンは、チームを引き上げる存在になる。
「山梨は好きな場所で、サンゴリアス在籍時からちょくちょく行っていました。求めてもらい、決断しました」
SOにはコベルコ神戸スティーラーズ、豊田自動織機シャトルズ愛知でプレーしていた清水晶大もいる。「いいスタンドオフがいるとスクラムハーフもおもしろい」と、はやくもワクワクしている。
「クリーンファイターズは練習時間が夜のようなので、昼間は普及活動やコーチングもしたい。ケニアに行った時の生活に近くしておきたいですね」と、やりたいことが次々と頭の中に湧き出ているようだ。
木村は1993年12月9日生まれの31歳。福岡・北九州の鞘ヶ谷ラグビースクールでラグビーを始めた。
中学時代は福岡県選抜の主将として全国ジュニア大会に出場。東福岡高校でも主将を務め、高校日本代表でも主将を務めた。
ずっとFLだった男がSHに転向したのは筑波大3年時のこと。当時の古川拓生監督に将来を考えたら9番はどうだ、とアドバイスを受けていまがある。

大学卒業後は豊田自動織機へ。3シーズンプレーした後に同社を退職し、ニュージーランド経由で、帰国後にサンウルブズに所属した(2020年)。
同チームがスーパーラグビーで活動する最後のシーズンを過ごし、コカ・コーラレッドスパークスに活躍の場を見つける。そこではチームの廃部という憂き目にあうも、翌シーズンからサンゴリアスに加わり4シーズンを過ごした。
サンゴリアスでは2試合しか出場機会がなかった。左膝前十字靭帯や左アキレス腱の断裂などもあり、実際の活動時間は限られていた。
しかし、膝が完治した後の3年目のパフォーマンスは高かった。流大、齋藤直人の2人が日本代表に行っている間、プレシーズンマッチではファーストチョイスの選手となり、信頼を得た。
2人の代表選手を追い越すことばかりを考えていた時期は、「それに集中し過ぎていた」と振り返るも、その時間が自分を高めていたと自覚する。
「サンゴリアスのラグビーは他チームよりだいぶ速いので、あれに対応できていたならどこでもやっていける自信はありました」とも話す。
しかし、今回のチーム探しの間に痛感したのは、自分の中に秘めた自信と、「試合に出ていない選手」と見る周囲の目との間にあるギャップだ。
思いを綴った手紙をチームへ送ったり、様々なアプローチをするも色良い返事は届かなかった。
それだけに新しいチームでは、自分を獲って良かったと思ってもらいたいし、「(これまでに)まだ燃え切っていない自分を出してプレーしたい」と誓う。
「まだまだやれる、という情熱的な木村がどんどん前に出てきています」と笑う。
所属チームがなくなったり、怪我をしたり、何度も困難に見舞われても歩みを止めない理由に、応援してくれる人たちの存在を挙げる。
「陽キャ。もともと人を喜ばせる、驚かせることが大好き」と自分を語る。
「キムタカに会えて良かった、キムタカから勇気をもらえた、という人をひとりでも多く増やしたいんです。試合に出たい理由も、僕のタックルや、最後まで走る全力プレーで勇気づけられる人がいる、と思うからです」
自分を応援してくれる人から目をそらさない。
SNSを通して発信し続ける。
病院の小児病棟の子どもたちのもとへ絵本を届けるプロジェクトも継続して続けている。
シーズン後のファンイベントなどで感謝を伝える機会も作っている。

そんなグラウンド外での活動をしたり発信に力を入れていると、「もっとラグビーに力を入れろ」という書き込みがある。あるいは、そんな声が聞こえてくる。
でも、強い。
「気にならないんですよ。僕が大事にすべきは、応援してくれる人で、その期待に応えるために発信も練習するし、プレーを見てもらいたいから試合に出たい。勇気を与えたい」
情熱的なキムタカの振る舞いの理由と、外野の「もっと、ちゃんとしろ」の叱咤の先にあるものは、実は一致している。
木村貴大は、実は生真面目すぎるぐらいにストイックに生きている。
未来図として描いているのは、「スタジアムいっぱいに集まった僕のファンの前で、引退セレモニーをすることです」。
すごい。
そんな風に反応すると、「え、珍しいですか」と返ってくる。
いつかやってくる引退の時、惜別メッセージの発信元に、山梨、そしてケニアも加わることになった。
4年にわたってサンゴリアスで高めてきたパフォーマンスが、甲府やナイロビの人たちを喜ばせる。