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【日本代表候補合宿】スイッチ入れっぱなし。中谷陸人[同志社大2年]
2005年4月15日生まれの20歳。大阪桐蔭→同志社大。昨季は関西大学Aリーグの全7試合に出場した。(撮影/松本かおり)
2025.06.10
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【日本代表候補合宿】スイッチ入れっぱなし。中谷陸人[同志社大2年]

田村一博

 階段を駆け上がっている。
 中谷陸人(なかや・りくと)はいま、菅平でおこなわれている日本代表候補合宿(6月4日〜11日)で揉まれている。

 5月16日に大分でおこなわれたU20日本代表×NZU(ニュージーランド大学クラブ選抜)で主将を務め、52-45の劇的勝利。同代表での活動を終え、次の日、所属する同志社大学ラグビー部のある京都へ戻った。

 次の日の練習時、酒井優ヘッドコーチに呼ばれ、JAPAN XVに呼ばれたから、「また大分へ行ってこい」と告げられ、ふたたび西へ向かった。
 その時の感情を「嬉しかった。また、成長できるところへ行けると思いました」

 リーグワンで活躍する選手たちが中核となっているJAPAN XVは、テンポの速いラグビーを標榜するなどU20代表のスタイルと大枠は似ているものの、「一人ひとりのスキル、スピードが全然違いました」
 最初は対応に苦労した。「チームというより、最初は、個人のスピードについていけてなかった。例えば、スタンドオフと合わせる時に遅れることもありました」

ジョーンズHCと。「大学の監督(永山宜泉 同志社大監督)からは、代表合宿で学んだものをチームに伝えてくれ、と言われています」。(撮影/松本かおり)


「判断のスピードが違いました。だから、はやくポジショニングをして、(次の)動きを予測していないといけない。動き出しにちょっとでも遅れたら、この(超速)ラグビーは成り立たないので」

 ひとつ上のレベルへの対応に最初は戸惑いながらも、大分では得るものがたくさんあった。
 積極的な性格。「いっぱい、いい選手がいるので、自分からいろいろ聞きにいきました。いろんなスキルを教えてもらい、成長できました」。

 以前から注目していた古川聖人には、タックルとブレイクダウンについて教わった。
「フィジカルには自信があったので、それに頼ったタックルをしていました。しかし古川さんに踏み込みやバインドの位置を教わり、もやもやしていたものがクリアになった。フィジカルにテクニックも加わったタックルができるように成長できた」

 JAPAN XVのメンバーとしてNZU、ホンコン・チャイナ代表戦に出場して学んだものもあった。
 NZU戦(第2戦/30-21)では後半に25分強プレーした。リラックスしてプレーし、ボールキャリーも悪くなかった。
 しかしホンコン・チャイナ代表戦(64-12)では後半に20分のプレータイム。アピールしようと思い、いつも以上に積極的に動いた。

「結果、ホンコン・チャイナ戦ではハーフとのタイミングが合わないこともあった。ミスも出た。途中出場に慣れていないということもありますが、気持ちが出過ぎたな、と」
「いつも練習でやっていることしか出ない。(短い時間でも)黙々と自分のプレーを貫くのが大事、と気づきました」

 菅平のキャンプでは、さらにレベルの高い選手たちに囲まれて毎日を過ごしている。
 キャンプ3日目、「ここではレベルがもう一段階上がると覚悟していたので慣れたというか、ついていけています」と話したけれど、初日はさすがに緊張した。
「最初の3歩。ディフェンスではそこが大事にされているのですが、セットが遅くなり、うまく出られなかった。エディーさん(ジョーンズ ヘッドコーチ)に何回も怒られ、(午後には)『朝は悪かったね』と言われちゃいました」

 そこで萎縮しないのが、この人の強さだ。翌日には、「きょうはやり返したろ」という思いを胸にグラウンドに立った。
 トップ選手たちもいる中でいちばん年下も、物怖じすることなく自分から積極的にコミュニケーションを取る。
「皆さんとの練習からいろんなものを吸収して、それを自分のものにして試合で出したい」

 宮崎での合宿にも参加できたらさらにレベルアップできるのになあ、とニコニコする。
 もし選ばれて自分がそこにいられたら、ラグビーを始めるきっかけとなった2019年ワールドカップ(以下、W杯)経験者と練習できるかもしれない。
「やばっ」と言って、「行けるものなら、行けるところまでいっきにいったろ、という感じです」と表情を崩した。

菅平ではヴェティ・トゥポウと同部屋。中学の時に所属していた泉佐野シニア(硬式野球)がHPやSNSで現在の自分のことを紹介してくれていることには「びっくりしたし、嬉しかった!」。(撮影/松本かおり)


 半年前は、いまの自分を想像できなかった。

 昨年(2024年)12月にU19日本代表(アジアラグビーU19チャンピオンシップ)に選出。そこで代表の重みと、自分に足りないものを知った若者は、2025年にはU20代表に選ばれることをターゲットにして自分を高めて肉体改造をおこなった。

 U20代表招集時にはひと回り大きくなって姿を現す。その姿勢を評価されて主将に指名された。

 幼い頃から10年間、ソフトボールや野球に熱中していた。中学時代(泉佐野シニアリーグ出身)には日本代表に選ばれ、アジアカップにも出場したことがある(3番、サード)。

 そんな才能ある少年が大阪桐蔭でラグビーを始めたのは、2019年W杯で心が震えたからだった。
「日本がスコットランドに勝った試合(8強が決定)を見て感動しました。自分も、そういう立場になりたいと思った」

 ラグビーの魅力が野球を超えた。
 そんな表現で、人生の分岐点を話す。

 U20代表でのNZU戦の3日前、ジョーンズHCと1対1の面談で、自分の強みと課題を話した。「いいポテンシャルを持っているんだから、もっと思い切ってプレーして。日本代表のチャンスもあるんだから」と返ってきた。

「自分を見てくれている人がいる。スイッチが入りました」

 走り出した20歳はブレーキを踏まない。





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