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NZU撃破。U20代表の個性豊かな3人、そして日本育ちの黒衣のマック。
後半38分、U20日本代表はFWで勝負を決めるトライを奪った。(撮影/松本かおり)

NZU撃破。U20代表の個性豊かな3人、そして日本育ちの黒衣のマック。

田村一博

 いいものを見た。
 5月16日に大分でおこなわれたU20日本代表×NZUだ。

 NZUは、日本ラグビーの昔からの恩人であり友人。今回はニュージーランド学生代表とされているが、ニュージーランド大学クラブ選抜とする方が実際に近い。
 大学に学びながら、その大学クラブに在籍している者、卒業後も、同クラブでプレーしている者たちの中から選ばれた選手で構成されているチームだ。

 1900年代にはニュージーランドに遠征してきた各国代表などと戦い、勝利を得たこともある。日本代表もそんなチームをリスペクトし、NZU戦に出場した選手にキャップを与えていた時代もある。

 過去に来日したチームにも有望選手はおり、例えば2000年代になってからも、2003年のコンラッド・スミス、2007年のアダム・トムソン、2009年のサム・ホワイトロックなど、のちにオールブラックスで活躍した選手たちがいた。

【写真左上】ハカと対峙するU20日本代表。(撮影/松本かおり、以下同)
【写真右上】よく走ったFB古賀龍人(明大1年)
【写真左下】高島來亜(豊田自動織機シャトルズ愛知)のトライ
【写真右下】勝利の瞬間、会場も沸いた


 近年は、その頃と比べるとトップ選手はいない。17人はスーパーラグビーチームのデベロップメントスコッドやNPC(NZ国内州代表選手権)、U20代表経験者も、スーパーラグビーでプレーしたことがある選手はHOのリッキー・ジャクソンひとりだけだ(ハイランダーズ、クルセイダーズ)。

 しかし、日本の選手たちと比べて体のサイズ、パワーに恵まれ、プレー経験も豊富な選手たちがいるのは事実。そんな相手に、U20日本代表は52-45と競り勝った。
 最後まで動き続けるフィットネスとクイックネスで8トライを挙げた。

 U20カテゴリーの最上位大会、ワールドラグビーU20チャンピオンシップの下部大会にあたるU20トロフィーが、2025年は実施されなかった。
 結果、U20日本代表の活動も例年と比べて縮小され、今季の試合はNZU戦のみとなった。

 そういった背景もありチームを率いる大久保直弥ヘッドコーチは、NZU戦を自分たちのテストマッチとして、勝つための準備を重ね、選手たちとマストウィンのマインドを共有した。
 関西のリーグワンチームと3試合の練習試合を組み、ダイレクトかつハイテンポなスタイルを磨いた。

 5月16日の勝利は、磨いてきたスタイルを出して勝った。
 大きくボールを動かして先制トライを取ったり、よくまとまったモールを押し切ったり、前半を24-19とリードした。

 後半の入りは3連続トライを許し、一時は逆転、24-38までスコアを開かれたが、最後の20分のトライ数は4と1。後半38分にLO加賀谷太惟が勝ち越しトライ、SO丹羽雄丸がコンバージョンキックを決めて決着をつけた。

「自分たちにとってのテストマッチ」に勝ち切った。(撮影/松本かおり)


◆野球日本代表からラグビーへ。


 U20代表の主将を務めたのはNO8中谷陸人(なかや・りくと/同志社大2年)。大久保HCは、同選手に大役を任せた理由を、こう話す。

「昨年(2024年)12月のU19代表(アジアラグビーU19チャンピオンシップ)にも選ばれた選手です。練習に対する取り組みもそうだし、インターナショナルを目指したい気持ちが伝わってきます。今回も、12月とは違う体で参加するなど、その姿勢は、成長していく必要があるこのチームでよい見本になれると思いました」

 実際、NZUでも体を張ったプレーを見せ、ピッチ上で仲間を鼓舞する声を出し続けた中谷は、勝利した試合後、「U20での活動(公式戦)は、この1試合だけ。NZUに勝つためにハードワークをしてきました。前半、いい入りができたのに、後半は先にやられました。しかし、最後は自分たちがやってきたことを信じてプレーして勝てた。それが間違いでなかったという自信もつきました。(みんな)今後日本代表を目指していく選手だと思うので、もっとハードワークし続け、それぞれの大学に戻っても、この経験を生かしてやっていきたい」と話した。

 ミスが出る時間帯もあったが、ハドルの中で「次のことを考えよう」と言い、チームを牽引したキャプテンは、試合前から「サクラのジャージーを着る責任がある」と呼びかけ、テストマッチに懸ける一人ひとりの思いを束ねた。

 アジアの舞台でも、「体ができていない」と自覚した中谷は、台湾での大会から帰国した後、ウエートの数を増やし、食事を変えて肉体改造に取り組んだ。
「4月にリーグワンのチームと試合をしました。そこで全然通用しなかったので、(一度解散して再度集まるまでの)2週間、自分なりに体を当てる基礎的な練習を積んできました。きょうは、その成果が出ました」
 体重は12月から3キロ増。体脂肪は減った。

NO8としてチームを率いた主将の中谷陸人。180センチ、102キロ。(撮影/松本かおり)


 幼い頃から10年間、野球に熱中していた。中学時代(泉佐野シニアリーグ出身)には日本代表に選ばれ、アジアカップにも出場したことがある。
 内野手として活躍していた逸材が大阪桐蔭でラグビーを始めたのは2019年のワールドカップがきっかけだった。

「日本がスコットランドに勝った試合を見て感動しました。自分もラグビーで、そういう立場になりたいと思いました」
 熱い思いを胸に、生きる道を楕円球の世界に変えた。

 この日勝利をつかんだ瞬間、「日本代表らしく、泥臭く、やってきたことを信じてプレーして勝てた。100パーセントを出せたので、80分頑張ったと、自分と仲間を褒めた」と話したキャプテンは、もっとハードワークをして、日本代表に、より近づきたいと意欲を口にした。

◆レスリング仕込みの強さ、バランス。


 中谷主将が野球でトップレベルだった存在なら、先制トライを含む2トライを挙げた14番の太田啓嵩(けいしゅう/近大2年)は、小3時にレスリングの全国大会(26キロ級)で優勝したことがある。
 体操や水泳にも取り組んでいたからバランス感覚にすぐれ、腰の強いランニングは、少年時代に他競技で養った運動能力が生きている。

 太田は広島の出身。レスリングの国体選手だった父の影響もあり、広島レスリングクラブでオリンピアンの向井孝博コーチから基礎を教わった。
 大阪に引っ越して堺ラグビースクールに加わり、中学時はバスケットボールに熱中するも、中3でふたたびラグビーに戻り、報徳学園でプレーを続けた。

 近大1年時は肩の脱臼など怪我に悩まされ、Aチームでプレーすることができなかった。しかし、今回のU20代表での活動を通して地力と自信をつけて気持ちもパフォーマンスも上向いている。
 この日挙げた2トライも積極的に動いた結果に得たものだった。

腰が強い走りと、バランスの良さが魅力のWTB太田啓嵩。タックルの第一歩はレスリング仕込みだった。(撮影/松本かおり)


 先制トライは右のエッジでロングパスを受け、相手ディフェンダー数人に囲まれそうになった瞬間、裏にキックを蹴り、チェイスして奪ったものだった。そのシーンを振り返り、「去年のNZUの映像を見て、相手WTBは上がってくるのがはやいと分かっていたから、すぐに蹴りました」と話した。
 2つめのトライは、好ステップで相手を翻弄した。

 この日の活躍にも、「運動量がまだまだ足りない」と課題を口にした太田は、練習試合のライナーズ戦で対峙した外国人選手のパワーに驚いたという。
「腕力がすごくて、普通ならゲインできるところでチョークされて、抱え上げられました」
 そんな経験を経て、「フィジカル面をさらに高めればもっと活躍できる」体感をつかんだ。

 現在、コベルコ神戸スティーラーズで活躍する植田和磨は、高校、大学と同じ道を歩んでおり、刺激を受けている存在。自分もはやく力をつけ、近大が狙う関西制覇に貢献したいと思うし、もっと先へ進みたい。
「(NZU戦後の)ロッカールームの雰囲気はすごく良くて、みんな嬉しそうでした。高め合って、次のステージに行けたらいいですね」と話した。

◆唯一の高校生、ラスト20分に躍動。


 先発で9番を背負った三田村喜斗(よしと/帝京大2年)から後半19分にバトンを引き継いだ荒木奨陽(しょうや)は、今回のスコッドの中で唯一の高校生だった(中部大春日丘3年)。大久保HCは、リーグワンチームとの練習試合でも迷わずタックルに入り続ける姿を見て、この試合での起用を決めた。

唯一の高校生、SH荒木奨陽は、「体育はいつも5」。高い運動能力で、大男たちに対抗していた。(撮影/松本かおり)


 テンポを上げてこい。
 そう言って送り出された荒木は、期待に応えるプレーをしてパスを出し続け、チームを前に出して勝利をつかむことに貢献した。
 そして、「高校生ですが、先輩たちに負けないように、ガムシャラに走り続けようと思い、頑張りました。みなさん、コミュニケーションをとってくれるのでやりやすかった」と、ピッチに立った時間を初々しく振り返った。

 小学校入学前から名古屋ラグビースクールに入った。幼い頃から受けたタックル指導が、体に染み付いている。小柄(169センチ、70キロ)でも大きな相手を倒せるのは、「小さいから入る時のスピードを落とさず、インパクトを強くしているから」と話す。
 飛び級でU20代表から声がかかった時は驚いたが、「絶対に行きたい」と意思表示した。

「強気で、チームに貢献するプレーがかっこいい」とフランス代表のアントワンヌ・デュポンに憧れる17歳は、自分の強みを「ボールを持ち出すプレー、テンポのはやいパス、スピード」と考え、それを磨いていきたいという。
 高校3年時の目標は、花園での優勝と、高校日本代表入り。その両方を手に入れて、さらに大きく飛躍する土台を固めたい。

◆群馬育ちのマック。


 平日の夕方に、エキサイティングな時間を作った両チーム。個性豊かだったのは、日本側だけではなかった。
 NZUの13番として先発したマック・ハリスは日本語ベラベラ。それもそのはず、高校1年時の途中までは群馬・明和県央高校に在籍していた。

 父・マイクさんはニュージーランド人。日本人の母との間に、群馬で生まれた。小学校時、渋川ラグビースクールに入り、中学時は前橋ラグビースクールで楕円球を追った。
 父の勧めもあり、高校1年の途中で初めて単身ニュージーランドへ。ネルソンカレッジで数か月学ぶつもりだったが、現地での生活が気に入り、そのまま学び暮らすことに。オタゴ大学に進学し、ファイナンスを学んだ。

NZUのCTBマック・ハリス(写真中央)。ラグビーと仕事のキャリア、両方の経験を積んで、人生の選択肢を増やしたいと考えている。「ツアー中は仲間にいろいろ頼られますが、わざと教えないこともあります。自分で見つけるのが、海外へ出た時の醍醐味でしょ」。(撮影/松本かおり)


「ニュージーランドが合っていました」という22歳は(5月22日に23歳になる)、大学卒業後、ダニーデンで農業系の株価やファイナンスに関する仕事に就いてキャリアを積みながら、ラグビーを続けている。
 NPCオタゴ代表のデベロップメントに所属し、クラブラグビーでプレーしている。

 去年もNZUに選ばれた。しかしその時は、ホームでU20代表候補を迎え撃つ側だったから、今年は「なんとか日本に行きたい」と、NZU入りを熱望していた。「選ばれて、本当に嬉しかったです。日本のチームとやると、昔を思い出して楽しい」と話す。

 ふたつの母国のラグビーについて、「サイズとプレースタイルが違います」と言う。
「ニュージーランドはサイズがあり、真っ直ぐプレーする。日本のラグビーは速く、スキル重視。きょうは、それにやられました。僕たちも日曜日に集まり、きょう(金曜)までの短い間に、よくここまでやれたとは思いますが、日本らしいスピードあるラグビーにやられた。分かっていても、スロー(な展開)にするなど対応し切れなかったので、自分としては、気持ちいいぐらいです」

 5月20日と24日に控えているジャパンXV戦へ向け、「修正しないといけないところがたくさんある」と話していた。

エディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチも視察。(撮影/松本かおり)



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