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【Just TALK】「トレーニングしろよ」。加藤一希、紙森陽太[クボタスピアーズ船橋・東京ベイ]
ウェリントン・ライオンズで揉まれた加藤一希(左)と紙森陽太(撮影/向 風見也)
2024.11.27
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【Just TALK】「トレーニングしろよ」。加藤一希、紙森陽太[クボタスピアーズ船橋・東京ベイ]

向 風見也

 クボタスピアーズ船橋・東京ベイの紙森陽太と加藤一希は7月、ニュージーランドのウェリントン・ライオンズに期限付き移籍。10月までのニュージーランドの地域代表選手権(NPC)で優勝を果たした。帰国後の11月中旬に取材に応じ、貴重な経験について語った。

一昨季の国内リーグワン1部で初めて王者となったスピアーズにあって、2人は左プロップを務める。

 加藤は身長185センチ、115キロの29歳で、中部大春日丘高、中部大から宗像サニックスブルースを経て2022年度にスピアーズ入り。紙森は大阪桐蔭高、近畿大出身の25歳で、入部年度は加藤と同じだ。

NZ国内王者となり喜ぶウェリントン代表。(Getty Images)


——NPCはスーパーラグビー行きへの登竜門。挑戦のきっかけは。

加藤「もともとライオンズにフロントローが足りなかったようで、アランド・ソアカイヘッドコーチ(元スピアーズアシスタントコーチ)が、『経験を積む意味も込めて、スピアーズから1番(左プロップ)を 2人』と。

 僕は昨季の最終戦から 2 試合前ぐらいの時期、スラッシーさん(田邉淳アシスタントコーチ)からお話をいただきました。そのシーズンにあまりゲームタイムをもらえていなかったので(レギュラーシーズン16戦中1度のみの出場)、ふたつ返事で『お願いします』と」

紙森「僕もほぼ同じ時期に田邉さんにお声かけいただきました。英語も喋れなくて不安はあったのですが、(現地で)チームの皆は温かく迎えてくれました。ラグビーの部分では、日本と違うフィジカリティ、スキルの部分を教えてもらえました」

加藤「自分は年齢も年齢でした。NPCが若い選手主体の大会とあり、自分は 30 になる年で挑戦させてもらったので『大丈夫かな?』とは思いました。ただ、(挑戦により)いい意味で僕のルーティンを崩してもらった。ルーベン・ラヴ(FB)、ビリー・プロクター(CTB)といったジャパン戦に出たオールブラックスの選手(10月26日に横浜・日産スタジアムで64-19で勝利)とも、ライオンズで一緒に練習ができました。ルーベンとは僕らと3人でご飯を食べることも。それは向こうに行ってから2、3か月後のことでした」

——スーパーラグビーを経てオールブラックスことニュージーランド代表になった選手が、オフに地元のクラブへ戻って外国人選手をサポートしているのですね。

加藤「スーパーラグビーのシーズンが終わり、ニュージーランド代表の遠征がない時、ライオンズを助けに来てくれるのです。(海外からの)フライトの翌々日くらいには、もうグラウンドにいました。『あれ? この前、ツアーが終わったんじゃなかった?』と。

 ルーベンの義理のお兄さんにあたる人が元サニックス(加藤が所属していた宗像サニックスブルース)の選手で、僕はその奥さん——ルーベンのお姉さん——とも面識がありました。それで面倒を見てくれたのだと思います。

(件の食事の席で)言われたのは、『スキルを突き詰めろ』でした。その日はオフの前日。ルーベンには『明日、何をやっているんだ?』と聞かれました。NPCはスコッドも少なくタイトなので、僕は『しっかりリカバリーするつもり』と。

 そうしたら、『何てことを言うんだ! トレーニングしろよ』と言われました。

 30 歳近くになって、改めて気づかされました。そうだよな、やらないといけないよな、オールブラックスが言っているんだから…と。

 それからは(オフも)細かいスキルセッションなど、疲労が蓄積しない程度のメニューを 1 時間くらいはやる癖がつきました。多分、ルーベンもTJ(・ペレナラ=ウェリントンやスーパーラグビーのハリケーンズを経てオールブラックス入り)からそう伝えられて、僕らがその内容をルーベンから教わった…。他の皆もオフに——ハードなことはしないにせよ——グラウンドにいました」

——オールブラックスになる人の習慣を知れた。

加藤「ルーベンは紙森よりも年下なのに、感化されました。彼は誰よりもハードワークしているし、(酒も)チームで飲む時以外は飲まないし、夜更かしもしない。影響力があるんです。

 また、言いづらいことを言ってくれたことにもリスペクトを感じました。

 彼の考えとしては、『トレーニングをするだけうまくなる。オールブラックスに選ばれる。そうなれば(多くの)お金ももらえて裕福に暮らせる。こんなに素晴らしいことないじゃないか。日本でも一緒でしょ?』という感じだったのです。

 そのいいDNAがライオンズに残っています。(帰国後も)いまだにエクストラをやっています。パススキルを鍛えています。それによって相手の防御を惑わせられる」

若いのにしっかり者のルーベン・ラヴ(中央)。今秋の日本代表戦で初キャップを得た。(撮影/松本かおり)


——NPCのゲームはどうでしたか。紙森選手は多くの出場機会が得られました。

紙森「激しいリーグでした。ストラクチャーより、ボールが動いている最中の動きを重視して練習していました。そのあたりのスピードも速い。例えばボールが転がった時に反応が遅かったら『もっと速く』と言われました。コリジョン(衝突)でもしっかりと肩を当てて相手を倒さなければいけない」

加藤「わかってはいたけど、『こんなに意識するんだ!』と勉強になりました」

——現地での暮らしぶりについては。

加藤「ライオンズが練習しているNZCISというスポーツ施設のようなところにアパートっぽい建物があり、そこに住まわせてもらいました。NZCISはオールブラックス、ハリケーンズが練習することもある、めちゃくちゃいい施設です。凄かったよね?」

紙森「室内練習場もあり、そのなかにはでかいスクリーンがあって…」

加藤「そこのHポールの映像が出て、ボールが当たった場所に印がつく!」

紙森「正直、最初の 1 か月くらいはすごくきつかったです。練習量、英語で苦労して、やっていけるのかという不安はあったんです。ただ、時が経つにつれてどんどん耳(言語への対応)も、チームの雰囲気にも慣れ、練習の要領も掴めてきた。周りの人もすごく助けてくれました。休みの日に、『集まるから来なよ!』と声をかけてくれて…」

加藤「お酒は飲まないですが、ただ集まって談笑したり、クイズ大会をしたり。たぶん、僕らを見放すのは簡単だけど、あえて繋がり続けようとしてくれていた。それが僕らには助けになりました。『来いよ! 何で来ないんだ?』みたいな」

紙森「ストレスがなくなり、楽しんでラグビーができるようになりました」

加藤「最後のお別れの挨拶では、2人とも号泣でした。本当に離れたくなくて、もちろんスピアーズも恋しかったんですけど、それと同じくらい、寂しくて」

——スピアーズに戻ってからはいかがですか(取材時は合流から約1週間が経過)。

加藤「カテゴリーC(他国代表経験者)の選手やコーチの話すことへの理解度が深まっている気はします」

紙森「僕も同じで、相手の伝えたいことがわかるようになりました。少し英語が理解できるようになったので、使われている単語、単語で少しずつ(会話についていける)」

加藤「オンフィールドでは細かいスキルを意識できるようになりました。それまで見えなかったところが見えるようになった実感がある。それを磨き上げてシーズンに入りたいです。またスピアーズにも外国人選手がいます。自分たちがニュージーランドでやってもらったように、繋がり続けることも意識したいです。それは絶対、フィールドにも活きてくるので」

紙森「ライオンズで採り入れたいい習慣でレベルアップして、スピアーズに貢献したいです。(NPCで)優勝を経験させてもらったので、そこで得た試合勘、フィジカリティの部分を発揮できるようにしていきたいです」

 グラウンド内外で多くを得た2人。いま日本にいる多くの選手にも、チャンスがあれば海外でのプレーを経験して欲しいと口を揃える。



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