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やっと朝方は涼しくなってきた。国内のラグビーシーンが本格的に動き出す。
9月7日、8日には関東で学生、社会人リーグが開幕する。トップイーストリーグAは9月7日のAZ-COM丸和MOMOTAROS-日立Sun Nexus茨城から始まる。
トップイーストAの昨季3位だった東京ガス。同チームにとっては、9月15日の日立Sun Nexus茨城戦が今季初戦となる。
『Build』をシーズンスローガンに掲げている。トップイーストリーグと3地域トーナメント制覇を目指す集団は、常に『ラグビー100、仕事100』のスピリットで前進している。
チームの真ん中を貫いているその精神は、代々継承されてきたものだ。昨季限りで同ラグビー部を離れた者たちも、その姿勢で日々を過ごした。
長いチームの歴史の一部を築いた2023年度の退部者8人に思いを訊いた。
◆祐史がいてよかった、と言われるプレーを。
今年からサポートコーチ兼採用としてチームと関わる髙野祐史は、2014年から10シーズンに渡り、FWのバックファイブでプレーした。
常にピッチに立ち続けられたわけではない。いろんな思いを胸に過ごした日々が現職に生きる。
國學院久我山、日大を経て東京ガスに入社した髙野。ラグビー人生の後半は、怪我との戦いの歴史でもある。
左膝に怪我を抱えて入社した。その影響で腰を痛めたこともある。コンディション不良で棒に振った時期もあった。
日大3年の時に左膝を脱臼し、靭帯を切る大怪我を負った。しかし主将となった4年の秋、公式戦の初戦に出場する。
本来ならまだプレーできる状態ではなかったがチームの先頭に立ち、法大に勝った。それだけで、この人のリーダーシップと情熱がよく分かる。
そんな髙野が引退を決めたのは、結果的に最後となったシーズンのラストゲームを終えた時に、ホッとした感覚があったからだ。
負けず嫌いだ。そんな自分の気持ちの変化を感じた。
昨季は全8試合中6戦に出場し、そのすべては80分フル出場だった。本来のFLで起用された。
「次に怪我したら引退しよう」と考え続けた10年。しかし、転んでも必ず起き上がった。そうやって過ごした10年目、シーズンを戦い切れたことで「やり切った」と思えたのだろう。
もう1年早く辞めていたかもしれない。「同期で同じポジションの粕谷(俊輔)も引退するので一緒にと考えたこともありました」。
粕谷は筑波大出身。浦和高校時代は高校日本代表にも選ばれたタックラーだ。その存在があったため、髙野自身FLでの出場が叶わなかったこともある。しかし、「いつも背中を見ていた」。リスペクトしていた。
2022年度のシーズン、チームはトップイーストリーグのAグループで優勝、さらに3地域社会人リーグ順位決定戦でも頂点に立った。
27-19と勝利した大阪府警察とのファイナルには髙野も出場した。しかしプレータイムはラスト数分だけだった。
粕谷は80分プレー。引退の年を見事に締め括った。
「このままでは終われないな」と思った。昨季も現役を続けたエナジーの原点はそこだった。
いつも以上に気持ちを込め、全力を注ぎ込んだ1年。最後はヤクルトレビンズに19-27と敗れた。
もちろん悔しい。ただそれ以上に、からっぽになるまで出し切った自分がそこにいた。だからブーツを脱いだ。
10年の間に、いろんなことがあった。仕事、ラグビーの両方に全力を尽くす日々は簡単ではなかったが、先輩たちや、ライバルで友の粕谷らの背中を見て歯を食いしばり、戦い抜いた。
ラグビーは人生の学校と言うけれど、本当にそうだ。
学生時代は試合に出るのが当たり前で、チームの中心にいた自分だったのに、社会人になってからは、大学時代からスターだった選手たちや外国人選手たちもいて、立場は変わった。
自分はどう生きるべきなのかを学んだ。
「周囲の人たちと比べ、自分が勝てるものは何かを考えました。一生懸命プレーして、人が嫌がることをする。ブレイクダウンに何回も頭を突っ込みタックルも。試合が終わったらクタクタになっていていいから、目立たなくていいから、祐史がいてよかったよ、と言われるプレーを心がけていました」
「自分の持ち味を出して勝つ方法を10年間考え続けた」と話す髙野は、もっとも記憶に残るシーズンを2019年とした。
東京ガスがトップイーストリーグのディビジョン1を制したシーズン。このハードワーカーはLOで多く試合に出場してチームに貢献した。
「僕は幸せでした。辞めるタイミングまで自分で決めることができました。納得いくまでプレーもやれた」
これから後輩たちを指導もする。採用活動もおこなう。
「自分と同じように、とことんやれたと思える選手が一人でも多く出るようにしたいですね。そうなればチームを誇りに思うし、愛情がわく。そんな人を増やしていきたいと思っています」
◆人生が凝縮されたタックル。
髙野がいろんな人たちを追ってラグビーをやり切ったと感じたのと同様、2023年度限りで引退を決めた根來拓哉(FL)もまた、髙野の背中を見て人生を歩んだ。
所属した7シーズン、仕事が忙しくてグラウンドに出られない時期もあった。それを乗り越えられたのは、先輩や同期、後輩の存在があったからだ。誰もが、同じような状況を経験したことがある。
「その中でも、大学時代からの先輩でもある髙野さんの背中をいつも見ていました。同じポジションです。一緒にフランカーで出たいと、いつも思ってもいました」
根來は華やかな道を歩んで来た人ではない。特に学生時代は、全国大会の舞台が遠かった。
奈良の『キッズラグビーとりみ』で始めた楕円球人生を、啓光学園中、常翔啓光学園高、日大と続けた。
2008年度の花園で、常翔啓光学園が全国高校大会を制したときは中学生。高校日本一に貢献した小柄なFL、宣原甲太に自分の未来をだぶらせて憧れ、高校生になったら頂点に立つのだと気持ちを昂らせた。
しかし思うようにはならなかった。花園予選は3年間とも地区予選決勝まで進出も、最後の壁が崩せなかった。
日大進学後も苦難の時は続いた。
1年時、4年生で主将をつとめていたのが髙野だった。同主将が率いる日大は大学選手権に出場するも、2年時のチームは2部に降格した。3年時に1部復帰を果たすも、4年時は、降格は免れたものの入替戦を戦った。
大学卒業後に東京ガスに加わったのは、日大2年の時に東日本都道県大会へ出場したことがきっかけにもなった。そこで東京ガス関係者との縁ができた。
そして何よりも、尊敬する髙野先輩の存在があったから惹かれた。
平和島のグラウンドで過ごした社会人での7年間も含め、残してきた足跡を振り返れば、誰もが知るような大きなものはない。
しかし本人は、「自分なりに最後までやり切ったと思っています」と話す。
チームがトップイーストと3地域社会人リーグ順位決定戦を制した2022年度は、自身もベストを尽くしたシーズンだった。
しかし出場機会には恵まれず、優勝を心の底から喜べたかというと心が晴れない。「もう1年、すべてをかけてやってみよう」と臨んだのが昨季だった。
結果、途中出場ながら4試合に出場。気持ちに区切りがついた。
悶々とした時間も少なくなかった7シーズンを経て、人として成長できた。
現実を受け入れる力は生きていく上で不可欠だ。根來はそれをラグビーから学んだ。
「評価はあくまで他の人がするもの。だから、自分ができることを100パーセントやる」
それは成功の鉄則とは違う。「正直、そう思うしかない。どれだけやってもダメなときはダメ」と続けた。
そこまでやり切って感じたのは、「まずやることが大事」の信念だ。
根來は最後のシーズンに自分らしいプレーを刻むことができた。
2023年11月11日におこなわれたセコムラガッツ戦(20-18)。ランニングタイムで後半40分を過ぎた頃だった。
味方の蹴ったペナルティキックがノータッチとなり、相手がカウンター攻撃を仕掛けてきた。SOダニエル・ウェイトのパスをWTB高橋香成が左タッチライン際で受けた瞬間に足首を刈り、一歩も前に出さなかった。
「タックルにかけていた自分のラグビー人生。その思いを見せられたような気がしました」
そのシーンを見てくれていた人は何人いるだろう。シーズンのその後の試合で出場時間が増えたわけでもない。そのことについても、本人は「それが自分の評価」と飲み込む。
それでも、長かった楕円球生活の最後の年に、自分だけの一生忘れないタックルがあるのは幸せだ。
現在は、サポートスタッフ(グラウンドサポート)の役職でチームを支えている。
自分と同じように、出場機会をなかなか得られない選手たちもいる。そういう時に寄り添っていく存在になりそうだ。
チームを率いる鈴木達哉主将(FL/NO8)は同期。
「いまここにいる選手たちで目指せる、いちばん高いところにいけるように頑張ってほしい」とチームにエールを送る。