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ラグビー情報番組「藤島大の楕円球にみる夢」が9月2日(月)の午後6時から放送される。
今回のゲストは、パリ・オリンピックで実施された7人制ラグビーでレフリーを務めた桑井亜乃さんだ。
この夏、とても忙しく過ごした。
7月28日から3日間、巨大スタジアム、スタッド・ド・フランスに7万人近い観衆を集めて実施されたラグビー(女子7人制ラグビー)で、ニュージーランド×中国、フィジー×南アフリカの2試合を担当。大舞台でレフリーを務める夢を叶えた。
7人制ラグビーが競技種目に加わった2016年のリオデジャネイロ・オリンピックにはプレーヤーとして参加している。
アスリートとレフリーの両方でオリンピックを経験したのは、世界のラグビー史上初めてのこと。そのニュースは世界にも発信された。
オリンピックを目指して努力を重ねているのはアスリートだけではない。桑井レフリーの話を聴くと、それがよく分かる。
パリの大舞台に立つ直前には、マッチオフィシャルと呼ばれるレフリーやそれを支えるチームが、ポルトガルで合宿をした。フィットネストレーニングとディスカッションを繰り返し、本番に備えた。
桑井レフリーの場合、大会後に帰国してからも女子日本代表×女子アメリカ代表(15人制)のテストマッチ2試合でアシスタントレフリーを務めた。
セブンズの頂点には、選手でも、レフリーでも到達した。すでに、次の目標に踏み出そうとしている。国内最高峰リーグのリーグワンで笛を吹くなど、女子レフリーがまだ成し遂げていないことにチャレンジする。
1989年10月20日生まれ、北海道幕別町(まくべつちょう)出身。幼少期から陸上競技に取り組み、北海道帯広農業高校2年時は円盤投げで国体5位入賞という成績を残した。
進学した中京大学でも円盤投げを続けた。それと同時に、ラグビーとも出会った。
大学1年生の時に体育の授業で楕円球に触れると、3年生、4年生でも履修し、その面白さに惹かれる。担当教員に勧められたこともあり、卒業後、続けていこうと決めた。
教員志望だった進路を変え、まずはRugirl-7に所属した。
立正大大学院在学中の2014年4月、アルカス熊谷の創立と同時に加入。その1年後、ラグビーを本格的に始めて1年でセブンズ日本代表に選出され、4年目の2016年にはリオ・オリンピックに出場、トライも奪った。
コロナ禍の影響を受けて2021年開催となった東京オリンピックへの出場はならなかった。
しかし、同年に現役選手から退くと同時にレフリーを志す。今回のパリ・オリンピックは、笛を吹き始めて3年で立った大舞台だった。
根っからのアスリート気質。目標を定め、最短距離を走る。
有言実行のスタイルで自身を走らせるエナジーを生み、周囲の人々のサポートや支持を得る。
「多くの人に感謝しています」という気持ちを、結果を残すことで伝えている。
「うまくいったらたどり着くかも、ではなく、『絶対に』のつもりでやったからやれた」と、この3年間の足取りと覚悟を振り返る。
その思いを口に出したから開いた道がたくさんあった。いろんな人と出会えたし、たくさんの学びがあった。
待ってもことは動かない。自分から行動を起こす人生を歩んでいる。
出身地は2万5000人ほどの人口なのに、2016年のリオデジャネイロ(夏季)、2018年の平昌(冬季)でオリンピアンとなったアスリートが自分も含め5人出た。
「スポーツが盛んで、オリンピックを身近に感じる環境で育ったことも大きかったと思います」
大学ではアテネ・オリンピックの男子ハンマー投げで金メダルを獲得した室伏広治氏(現・スポーツ庁長官)とともに練習する機会に恵まれ、同氏の父・重信氏の指導も受けた。
「考えながら練習を積むことを学びました」と話す。
ラグビー愛好家でもなかなか知る機会のない、レフリー同士の密な関係がおもしろい。
自身の選手時代を振り返り、「どれだけ努力しているか知らず、ダメな態度をとっていました」と回想する。
セブンズは究極の鬼ごっこと表現されることがある。
「そんな競技をジャッジするんですから、本当に鍛え込まないといけません」
そのアスリート性の高さが会話の中から想像できた。
いつもと違う視点でラグビーを知ることができる時間と言葉が記憶に残るはずだ。
▽ラジオ番組について
ラジオNIKKEI第1で9月2日夜6時から全国へ放送。radiko(ラジコ)のサービスを利用して、PCやスマートフォンなどで全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。
放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。U-NEXTでも配信予定。9月9日の同時刻には再放送がある。