秩父宮ラグビー場のメイン席上階の放送解説席にいて「あっ、スコアを間違えたな」と思った。
ついで、もしやペナルティーのアドバンテージを告げられ、そちらを欲して、あえて変なキックをしたのか、とも考えてみた。
さらに「いや待て。たとえばラックの下敷きに重篤な負傷者がいると気づき、ゲームを終わらせたのかもしれぬ」と別の可能性をさぐる。
そして結論。
「やはり間違えたんだ。それはそれでこの接戦にふさわしい」
慶應義塾大学蹴球部の第126代主将、今野椋平の茫然の表情をむしろ尊く感じた。
「事件」発生までの流れ。タイムキーパーなしの後半37分26秒。22-24と2点を追う慶應は自陣トライライン寸前での明治大学の波状攻撃をついにしのぐ。
100回目の両校の対抗戦。いつか見た黒黄の「劇的逆転」のイメージは、古きファンには濃厚に、新しい観客にも薄くなら浮かんだ。
怪我の手当てによる間があいて、トライライン上のドロップアウト後の攻防、明治がボールをロストする。直後のスクラム起点の慶應のアタックには迷いがなく、萎縮とは無縁に放り、つなぎ駆けた。
紫紺の守りの構えに疲労はにじむ。18フェイズを重ねて、そろそろ穴は見つかり、少なくともオフサイドの笛ならもらえそうだ。

ここで。12番の今野主将は、球を右タッチライン外へ蹴り出した。仲間は腕を宙に突き上げるのではなく頭上に添えたり腰に当てたりした。不思議な感覚がスタジアムを包んだ。
試合後の会見で本人は明かした。
「自分がゴールを背にしてチームを鼓舞し続けているときには2点勝っているというイメージが自分の中にあって」
後半33分6秒の明治の左ラインアウトより開始された猛攻は25フェイズにおよび、4分20秒ほど続いた。そこだけでひとつのゲームのようでもあった。慶應は「勝利」した。
反攻開始。こんどは本当のサヨナラ勝ちも見えてきた。
「レフェリーのノータイム(次にプレーが切れたらおしまい)の声も聞いていました」
なのに。時間がないので全方位総員攻撃を仕掛ける。のではなく、一刻も早く外へ蹴り出す。リーダーの思考は混乱した。
笑う気になれない。ただ、うなずく。こういうこともあるさ。ひとつ、はっきりわかるのは、優れているので選ばれたキャプテンが「負けているのに勝っている」と錯覚するのは、よきチームがよきラグビーをした場合に限られる。
「熱くなって、冷静に掲示板を見ることもなく、まわりの声を聞くこともなく進めてしまった。僕だけの責任」
粘りに粘れたチーム防御のさなかに「まわりを」見ていたら、スコアボードに目をやっていたら、きっとトライを許しただろう。計画を徹底、倒し倒され、集中の意識を絶やさない。貫くうちに「幻のリード」が心を占めた。
第107代のキャプテン、惜敗の青貫浩之監督は会見冒頭に述べた。
「準備したプラン通りにほとんどの時間は進んだと思います」
プランには「キャプテンすら、いや、キャプテンゆえにスコアを間違える」ほどの試練とその克服が含まれていた。というのが本コラムのロマンをまぶした解釈である。
仮に10年連続日本一の大学の主将がリードされているのに、していると誤ったなら、なるほど大失敗だろう。ただしクラブが殻を破る過程なら、そのくらいの無我夢中もときに求められる。
「対抗戦ではいろんなことが起こる」(青貫監督)
慶應がどんどん力をつけると、今回の顚末は躍進途上のユニークなエピソードとして語られる。頂点に立てば振り返る微笑だ。
明治についても触れたい。あの攻め立てた場面、左外にボールを散らせばトライを奪えそうだった。だが近場の縦また縦に執着した。もし逆転されたら「判断ミス」の声は広がった。
しかし、クラブのモットー(まっすぐ! 前へ! 細工を要せず!)の再認識との観点で、チーム力浮上のきっかけとできる。なぜメイジがあそこでインゴールにボールを置けないのだ。
突き詰めると、フィットネス、コンタクトの姿勢、サポートの正確性などの課題がくっきりと浮かぶ。修正が集団に筋金を入れる。

余談。筆者は解説で「キャプテンがスコアを間違えた例は過去のジャパンにもある。確か、ヨーロッパ遠征のオランダ戦」という内容を話した。
帰宅後に調べた。1980年10月4日。オランダ中部のヒルフェルスム。ジャパンは同国代表とのツアー初戦を落とした。13-15。日本協会デジタルミュージアムの「観戦記」にはこうある。
——最後に得たPKのチャンスで、主将の森がタッチキックを命じてノーサイドの笛が鳴り、「勝った!」と飛び上がった——
のちの日本協会会長、現在は名誉会長の森重隆さんのエピソードだ。福岡高校-明治大学-新日鐵釜石の機敏で聡明な名センターにもそんな一幕があった。小柄で勇敢、ひるまず体を張るので、たまに記憶が飛んだ。
忘れてはならない。同遠征最終戦のフランスとのトゥールーズでのテストマッチは3-23(前半0-8)。低く執拗なタックルで健闘した。
「自己の限界を超えているとしか思えぬプレーの数々を見せてもらった」
当時のフランス協会会長の試合後のスピーチを『日本ラグビー全史』(日比野弘編著)は紹介している。