
現在、イングランドで開催中の女子ワールドカップ。フランス代表は大会に入ってから徐々に調子を上げ、イタリア(24-0)、ブラジル(84-5)、南アフリカ(57-10)に勝利し、プールDを1位で通過し、今週末(9月14日)準々決勝でアイルランドと対戦する。
フランスの女子ラグビーはまだ完全なプロ化には至っていない。約30人の選手だけがフランス協会と「75パーセントのプロ契約」を結び、月3500〜4000ユーロ(約60万〜70万円)の給料を得ているが、この契約はパフォーマンスにより毎年見直される。女子1部リーグエリート1の選手たちは、仕事をしながら、もしくは大学や大学院に通いながらラグビーと両立しているアマチュアだ。だからこそ、代表選手たちも多様な「もう一つの顔」を持っている。
今大会に出場している32名の代表選手ガイドを見ていると、大学でスポーツ科学・教育課程、経営学やマーケティングを履修中、もしくは修了した選手が比較的多く見られる。中には看護師学校の2年生もいる。
HOエリザ・リフォノー(21歳)は、フランスのエリート大学群(グランゼコール)の一つであるグルノーブル政治学院(Sciences Po Grenoble)で、企業経営学の修士課程1年生だ。


今年のシックスネーションズで正確なキックで73得点を挙げ、得点ランキング1位になったFBモルガンヌ・ブルジョワ(22歳)は大学院でジャーナリズムを学ぶ。ワールドラグビーによるオンラインニュースサイト「ラグビーパス(Rugby Pass)」にコラムを執筆している彼女は、「私は書くことが大好きで、日々の生活でとても助けられています。プライベート、ソーシャルライフ、仕事、そしてラグビーのバランスが取れるようになってから、すごく調子が良くなりました」と地元メディアに明かしている。
CTBガブリエル・ヴェルニエ(28歳)は、163センチ、66キロと決して大きくない体で強烈なタックルを決め、「タックルの女王」とも言われている。攻撃では糸口を見つけてチャンスを作り、攻守においてチームの要だ。2023年シックスネーションズで最優秀選手、ワールドラグビーのベストXVにも選ばれ、最優秀選手にもノミネートされた。見ていてワクワクする選手だ。
ヴェルニエは、パリ郊外のナンテールのU18でプレーした後、エンジニアとしての勉強とトップレベルでのラグビーの両立が可能なフランス北部のリールに生活の場を移した。最初の春には、リール・メトロポール・ラグビー・クラブで国内優勝し、その後も2度準決勝に進出した。代表初キャップは2017年11月、20歳の時。リールで4年過ごした後、トゥールーズ郊外のブラニャックに移り、現在は1日3時間、トゥールーズにある航空機用工具を製造する会社で、設計エンジニアとして図面作成や3Dモデリングをおこなっている。

プロの消防士もいる。35歳で初めてのワールドカップに出場しているHOマノン・ビゴだ。子どもの頃から消防士になるのが夢だった。13歳から16歳まで若手消防士を育成するプログラムに参加、16歳から21歳まではボランティアの消防士をしていた。高校を卒業してプロの消防士になりたかったが、合格者が多すぎてポストがなかったため、5年間国家試験が中止になってしまった。
そこで彼女は軍隊に入隊した。「自然な流れで」と言う。しかも、彼女が選んだのは事務職ではなかった。「戦闘員になりたかったんです。戦うのが好きなんです。でも、当時、女性を最前線の戦闘員として受け入れる部隊は非常に少なかったのです。アルペン猟兵(フランスの山岳歩兵隊)がすでに女性を受け入れた経験があり、それがうまくいっていたと聞きました。身体的な基準も満たしていました。軍隊の美しい映像、山やスキーといった、すべてが素晴らしく映りました」
彼女が育ったロワール=エ=シェール県は平坦で、山がどんなところなのかも分かっていなかった。ましてやスキーなんてしたことがなかった。
「軍隊式なので、慣れるための時間なんてありません。スキーができないなら、上級者コースに連れていかれ、『滑り降りろ』と言われるんです。止まり方すら知らなかったんですよ!」
この3年の経験は彼女を鍛え上げた。
「たとえ痛みがあっても、靴下を脱いだら皮膚まで剥がれてしまっても、次の日にはまた歩き続けられる。肉体的な苦痛を超えられること、そして身体が送ってくる信号よりも精神力がずっと重要だということを学びました。この経験は、消防士としても、ラグビー選手としても活かされています。精神的に成長し、自分の限界を超えることができました。それ以来、あれ以上の困難には出会っていません」(ミディ・オランピック)
ビゴがラグビーを始めたのは23歳の時。「ラグビーで国際的なキャリアを築こうなんて思っていなかった。このスポーツから何かを学びたいと思っていただけ」。しかし、2年後の2016年2月にシックスネーションズのスコットランド戦で代表デビューを果たす。

2018年から5年間、消防士になるためにラグビーから離れたにも関わらず、ラグビーを再開するや否や、昨年3月、シックスネーションズのスコッドに招集された。
しかしその後、10月にカナダで行われたWXV(女子の世界大会)中に足首関節を骨折。それでも彼女は諦めず、まさに起死回生ともいえる復活を遂げて今年のシックスネーションズに間に合わせ、彼女にとって最初で最後のワールドカップへのチケットを掴んだ。今後は消防士に専念するため、今大会が彼女のラストダンスになる。
強烈なタックル、献身的なプレーでチームを率いる共同キャプテンのLOマナエ・フェレウ(25歳)は医学部の5年生だ。
フェレウはフツナで育った。父が指導していたラグビースクールで、11歳でラグビーを始めた。そこで男子フランス代表CTBヨラム・モエファナとともにプレーしていた。フツナには高校がない。NZの高校に留学した1歳上の兄の後を追って、フェレウもNZのウッドフォード・ハウスに留学した。
家族から離れ、最初は英語もわからず泣いて過ごしていたが、この3年間は彼女に「一人で何とかやっていけること、新しい言語を学び習得できること、そして育ってきた環境とは全く異なるシステムに適応できることを教えてくれた。その後の人生で直面するであろう困難に対して、大きな自信を得ることができた」(レキップ)
ラグビーもNZで上達した。フツナでは7人制をすることがほとんどだったから、高校でのポジションはCTBだった。3年生の時に膝の靭帯を損傷した。手術を受ける前に、インターネットで靭帯再建手術の動画を見て、とてもかっこいいと思った。
「最初は少し怖かったです。膝が開かれているのを見たのは初めてだったから。でも、『すごい!』と思ったんです」と医学部進学を決めた。
アメリカのテレビドラマ「グレイズ・アナトミー」の影響もあった。
「フツナにいた頃、このドラマを観るのが好きでした。病院の世界や、命を救う医師たちの物語です。手術室は魅力的な世界ですし、生きている人を修復することは本当に素晴らしいことだと思います」
フランス本土の大学の医学部に進学した。最初は母親の故郷のディジョンで、そしてグルノーブルに移った。
2019年にU20代表に選ばれた。翌年、グルノーブルの女子チームと契約し、代表初キャップを獲得。2022年のW杯に出場し、翌年のWXVでキャプテンに任命された時は、まだ9キャップしかなかった。
彼女が在学しているグルノーブル=アルプ大学には、2024年3月に「ル・パリジャン」が取材した時点で、特別な条件で勉強しているトップレベルのアスリートが600人在籍していた。その中で医学部は6人だけ。「彼女は、通常は1年の課程を2年かけて終了することが認められています。出席できない授業では代わりにノートを取ってくれる人をつけることもできます」と大学の担当者が説明している。

「秋にはNZ遠征もあり、今はシックスネーションズの準備をしていますが、9月から3月までに大学病院で12回の夜勤をこなしています」と続けている。
病院での実習で、婦人科の夜間当直、出産への立ち会いや、人々のプライベートな領域への立ち入り、そして看護・介護従事者が経験する疲労や精神的な負担を経験した。
「私が惹かれるのは、まさにその人間的な側面です。医師や看護師として、人々が最も脆弱で苦しんでいる状態、極限の感情や真実の姿に触れることができます。これはデスクワークとは全く異なります。人々がより良くなるのを手助けできることに、やりがいを感じます。時に、あらゆる努力にもかかわらず、患者さんが亡くなったり容態が悪化したりすることもあります。それは受け入れるのが難しいことですが、人を助けようとすることは、健全で意義のあることです」
『他者に与えることを恐れるな。宇宙は千倍になって返してくれる』というのが父の教えだ。
「私はこの哲学が好きです。そして、ラグビーでもそれを実践しようとしています。チームに多くを与えるほど、チームは様々な形でそれに応えてくれます。ラグビーは分かち合いのスポーツなのです」
彼女の名前の「マナエ」は「雷」を意味する。「父が大好きなフツナの童謡に由来していて、ポリネシア人が大切にしている生命のエネルギー「マナ」を指しています」(レキップ)
そのせいだろうか、彼女には自然体のリーダーシップ、一種のカリスマ性のようなものが感じられる。
今大会に向けて、昨年8月から、ラグビーに専念するために休学している。そのまま学業を続けていたら、ワールドカップから帰国した直後に、研修医になるための試験を受けることになってしまうからだ。
「2つのことを同時にして、中途半端なことはしたくありませんでした。帰国したら、医学部5年生の後半を終えます。たとえ35歳で卒業することになったとしても、卒業さえできれば、ラグビーで経験してきたことすべてを思えば、後悔はしない。ラグビーはほんの一時的なもので、その後、医師として生きる時間はたくさんあります」

将来的には、医師としてフツナに戻り、診療所を運営したいと考えている。
「いつになるかは分かりませんが。すべての若者がこの楽園(フツナ)を去り、戻ってくる人がごくわずかであることを残念に思っています。もし私自身がそこに戻らなければ、誰がそこに行きたいと思うでしょうか? 私を育ててくれたコミュニティ、人々に何かを返したいと思っています」
ロマン・ンタマックやアンジュ・カプオッゾのキャリアを管理しているエージェントが、フェレウの肖像権を管理している。彼女がフランスのスポーツ界の主要人物になっていることが窺える。
今大会、2歳下の妹テアニ(NO8)と共に出場している。家族にとってだけではなく、フツナ協会にとっても誇りだ。
「他の地域とはやり方が違っていても、ウォリス・フツナのラグビー活動が認められたということ。ここはとても小さな場所だけど、ここを出ていく時には、トップレベルでプレーするために必要なものをすべて持てるのだと、私と一緒にラグビーをしているすべての若者たちに信じてもらいたい」
「フランスアンフォ」のドキュメンタリーで父・ニシエは語っている。彼のうしろに裸足でラグビーボールを追いかける子どもたちが映っていた。
マナエ・フェレウは2022年のワールドカップで「ラ・マルセイエーズ」を歌う時に感情を抑えすぎたことを後悔した。
「ここで感情を解放しなければ、いつするんだ!」
それ以来、国歌を歌うたびに、これまでの努力、苦労、ブルーのジャージーを着ることができる幸運を思い、自分を褒めてあげる。そして両親のこと、フツナのことを思う。今回は妹のテアニと並んで。