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【楕円球大言葉】飼い犬にパスポートを嚙まれる。
チーフスからオールブラックスへ選出されたリロイ・カーター。2025年のスーパーラグビー・パシフィックに15戦出場、9トライ。(Getty Images)

【楕円球大言葉】飼い犬にパスポートを嚙まれる。

藤島大

 パスポートは落とすか忘れるものだ。消えたら、スパイや秘密警察がまわりにいるようでこわい。
 
 8月7日のニュース。海外遠征を控えるオールブラックスの新顔のニュージーランド国旅券は、犬歯や切歯といった特殊な装置によって切り刻まれ、消滅するところであった。
 
「リロイ・カーターのオールブラックスに招集されるという長年の夢は、アルゼンチンへ旅立つ数日前、飼い犬によって噛み砕かれたパスポートを目にしたことで、ほとんど悪夢となりそうだった」(stuff.com.nz)

 カーターはチーフスのウイングであり、必要ならハーフも兼ねる。負傷のケイレブ・クラークの「カバー」として、8月4日の月曜に発表のオールブラックスに呼ばれた。

 本人は話す。
「パートナーやNPCのベイ・オブ・プレンティーの仲間たちと外で朝食をとっていると、知らない番号の電話がかかってきた。(略)おめでとうと言われた。正直、そのあとに何を伝えられたかを覚えてない」(同)  
 オールブラックスを率いるスコット・ロバートソンHC(ヘッドコーチ)からの忘れられぬコールであった。

 ところが後日、外出より帰宅すると、自宅のベッド脇のテーブルにのせた黒表紙のパスポートは無残な姿となっていた。愛犬がガリガリムシャムシャともてあそんだのだ。パートナーはジムへ出かけて留守だった。

2024年のパリ五輪にニュージーランド代表で出場のリロイ・カーター(写真中央/12番)。日本戦にも出場した。(撮影/松本かおり)


 パニック! いや、その手前に踏みとどまった。26歳、7人制の東京およびパリ大会のオリンピアンは語っている。

「きのうは少し取り乱した。緊急パスポートを手に入れなくてはと。いまは状況を把握できた」「こういうことも自分の身に起こりうると考えたことがあった。だからストレスを感じることはない。ただ解決すればよい」(同)

 ピンチに動じぬ。オールブラックスの一員たるオールブラックに欠かせぬ資質だろう。そして報道はこう続いた。

「さいわいカーターは足が速い(クイック・オン・ヒズ・フィート=機転が利く)。金曜にオークランドで緊急発券のパスポートを取得できた」(同)

 この話題に接して、ふと頭に浮かんだ。
「昔、パスポートにまつわる逸話があったはずだ」
 わが記憶を揺さぶったら、あっ、ウィリー・オファヘンガウェのあのストーリーだ、と、思い出した。

 愛称、ウィリー・オーは、オーストラリア代表ワラビーズのかつての岩のごときナンバー8である。1990年から98年までに41キャップ獲得。91年のワールドカップ制覇の中核をなした。99年から2004年まではクボタでコーチ兼任のプレーを続けた。

 トンガに生まれた。親戚を頼ってオークランドのセドン高校へ進み、ラグビーで大いに力を発揮する。1988年にニュージーランド高校代表に選ばれ、オーストラリアへ遠征した。
 ところが帰国時に「トンガのパスポート」をとがめられ、出国できなくなる。同僚と別れ、やむなくシドニーのマンリー地区の親類へ身を寄せた。運命の瞬間だった。全身ブラックのジャージィの8番を担うかもしれぬ少年は、かくしてゴールドのそれに袖を通すこととなる。

 2011年。ブリスベンの北の静かな土地でメソジスト派の聖職者となっていたウィリー・オーは振り返った。

「なぜかニュージーランドへ戻るビザが発給されなかった。理由はずっとわかりません。(略)いまとなっては、あの出来事があってよかったと思っている」(クーリエ・メイル紙)

特にアタック力の強かったウィリー・オファヘンガウェは、セブンズ代表として香港セブンズに出場したこともある。写真は1992年のもの。(Just RUGBY編集部)


 1989年。ワラビーズはブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズに敗れた。肉弾戦の劣勢も敗因とされた。
 そこで協会は翌90年のニュージーランドへのツアーに州代表の経験もないオファヘンガウェを抜擢する。フランカー、ジェフ・ミラーの負傷の「カバー」だった。

「友人の家でテレビの録画を見ていると、マンリーのクラブ関係者がドアをノックした。『さあ行こう。君はニュージーランドへ遠征するんだ』って。電話はなかった。オーストラリア協会はシドニー中をさがしまわったらしい。一生、消えることのない思い出です」(同前)

 シドニーのエアポートで出国の扉を閉ざされてから2年、緊急発券ならぬ正規のオーストラリアのパスポートをかざして再上陸を果たす。1.93m 、118kgの頑丈なバックローは対オークランドでいきなり複数の猛タックルを決めて、クライストチャーチでのテストマッチに起用された。21歳になったばかりだった。
 翌91年のワールドカップでは、ダブリンのランズダウン・ロードの準決勝においてオールブラックスを失意の沼に沈めてみせた。

 ここまで書いて、なんだかモゾモゾと気になり、昨年暮れを最後に出番のない自分のパスポートをさがしてみた。なんと、あるはずの木製机の薄い引き出しに見つからない。ひんやりと焦りが背を走る。
 あった。CDや韓国の歌手の詩集、四半世紀前の取材テープの束、アフリカ大陸マラウイ産バオバブのオイルの小さなボトルなどなど、弱いチームのモールみたいに乱雑な収納にいつしかスペースをなくして、苦しそうによれて奥の奥にはさまれ、半分はみ出ていた。カーターとオファヘンガウェに申し訳ないような気持ちになった。




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