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【Just TALK】「言われているのに、何でできひんの?」 田中史朗[元日本代表]
子どもたち、ファンを大事にする田中史朗。(撮影/向 風見也)
2025.07.03
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【Just TALK】「言われているのに、何でできひんの?」 田中史朗[元日本代表]

向 風見也

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 田中史朗氏が日本代表へメッセージを伝えた。

 6月28日に参加したのは『第28回三井不動産SPORTS ACADEMY/ラグビーアカデミー』。来日中だったマオリ・オールブラックスとの交流イベントで、子どもたちとのアクティビティを楽しんだ。

 閉幕後、取材に応じた。

「日本代表を、自分のチームとして、家族として、作っていってほしい。もっと必死になって」

 もし機会があれば、現在のメンバーに直接会いに行きたいとも話す。

「いろんなことを伝えたい。僕が来たらうざいと思う人も絶対にいると思うんですけど、少しでも変わってもらえれば嬉しいなと」

 現役最終年となる2023年度のサイズは、身長166センチ、体重75キロ。周りのトッププレーヤーとの体格、身体能力の差を受け入れながら、判断力、頑張りで爪痕を残した。

 2008年に日本代表に初選出され、通算75キャップ(代表戦出場の証)を獲得。ワールドカップには計3度出場し、2015年のイングランド大会を歴史的3勝、2019年の日本大会を初の8強入りで終えた。

 さかのぼって2013年には、ニュージーランドのハイランダーズとサインした。国際リーグのスーパーラグビーにおける初の日本人選手となった。

 率直な物言いでも知られた。現在ジャパンの指揮を執るエディー・ジョーンズヘッドコーチが2015年まで率いていた当時のジャパンでも、激しい意見交換が話題となった。

2024年は宮崎でトレーニングするJTS(ジャパン・タレント・スコッド)の若い選手たち、ジョーンズHCの前で、リーチとともに日本代表のプライドについて話した。(撮影/松本かおり)


 時を経て、ジョーンズは訴える。

「フミみたいな考えの選手がほしい。小さくてもチームの魂となり、タフで、賢く、チームをリードする9番(スクラムハーフ)を求めます」

 この発言を本人はどう捉えたか。

「嬉しいですね。エディーにそう思っていただいていることは。

 ただ、少し寂しいのは、『言われているのに、何でできひんの?』ということです。

 僕みたいに能力が低いなかでも、コミュニケーションを取る…なんて、簡単なことじゃないですか。誰でもできる」

——いまの日本代表はジョーンズが9季ぶりにヘッドコーチに復帰して2シーズン目。取材日(6月28日)のマオリ・オールブラックス戦(東京・秩父宮ラグビー場)を経て、7月5、12日の対ウェールズ代表2連戦に命運をかけます(それぞれ福岡・ミクニワールドスタジアム北九州、兵庫・ノエビアスタジアム神戸)。

「ここ、勝てなかったら、厳しいんじゃないですかね。それこそエディーさんの責任(が問われるかもしれない)というのもありますし。

(現在のチームの関係者から)話を聞いていても、選手がどれだけの危機感を持っているのか…。

 去年の遠征だって、全然、勝てていません(1勝3敗)。能力は僕らの頃より高い。それでなぜ勝てないのか。それは全力でやっていないか、チームとして成り立っていないということになる。危機感を持ってほしいです。

 ウェールズ代表だって必死。若手(中心)で、日本代表と同じような形だと思うんです。ここで日本代表が結果を残したら、日本ラグビーも変わってくる。子どもたちにも強いジャパンを見せないと、興味が生まれてこない」

——最近、日本代表が勝ちづらくなった背景には何がありますか。

「コミュニケーションが取れていなかったんじゃないですかね。能力は、絶対に、僕たちよりも高いし。

 あとはマインドの問題ですかね。入っている大学の子たちが、たぶん、大学のマインドで来ていたと思うんです。だからこそ、(若手には)世界に出てほしい。

 日本は外国人がいっぱい来てラグビー(のレベル)は高くなっていますけど、メンタルの部分で(日本人選手も)外国人のマインドでやっている感じです」

——日本代表がチャレンジャーの立場だとしたら、海外の強豪国と同じ「マインド」ではいけないのですね。

「ジェイミー(・ジョセフ=前日本代表ヘッドコーチ)も、エディーも、『他の国よりしんどい練習をやるからこそ、相手がしんどくなった時にこっちが走れる』というラグビーをしている。代表に入ったからといって、勝手にうまくなるわけではない。しんどい中で頑張るからこそ、結果を出してきた。それこそ、しんどいのが嫌なら代表にならなくてもいい。桜のマークをつける責任感を持ってほしいです」

——昨秋は、選手がコーチングスタッフをどこまで信じ切れているのかも不明瞭でした。

「じゃあ、(問題解決のために)言ったらいいだけの話です。皆でまとまって(直接)エディーに言えば、(方針などを)変えざるを得ない。僕自身、エディーと言い合ってきましたけど、ちゃんと話せばわかってくれます。日本のラグビーのためと思って伝えれば、変わってくれます。それでだめならリーチやハル(2015年までのジョーンズ体制を知るリーチ マイケル、立川理道)を使って話せばいい。変な話、僕は能力が低いのにそんなこと(意見具申)をしても、代表での立ち位置を見つけられた。

 監督だけが勝ちたいわけでも、選手だけが勝ちたいわけでもない。ファンの人も勝ってほしい。ならば、発言する勇気を持たないといけない。

 1回、(松田)力也、(坂手)淳史と飲んだ時にもそういう話をさせていただいたんです。その時は『外国人が国歌を歌っていないんなら、歌ったほうがいいよ』とも。思いを持っている人が下に伝えないと、また2011年(ワールドカップニュージーランド大会で未勝利)みたいになってしまう」

2013年、来日したウェールズに勝った。(撮影/松本かおり)


 この夏ぶつかるウェールズ代表は、日本代表時代の田中氏にとっても縁が深い。

 2013年6月に国内で2連戦をおこない、同15日の最終戦で同カード史上白星を掴んだ(東京・秩父宮ラグビー場で23-8)。

 当時のウェールズ代表は、6か国対抗で2連覇中。(ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズの遠征と重なっていたため)来日メンバーが若手主体だったのを差し引いても、ジャパンにとって会心の勝利であるのは確かだった。

 その一戦で、田中は好配球を貫いた。

 現在40歳。あの日のヒーローは述懐する。

——12年前の瞬間を振り返ってください。

「チャレンジでしたね。日本ラグビーにとっては、あれが大きかったと思います。ホームで応援の力もあり、相手も全力ではなかったのですが、上のチームに勝つことが僕たちの自信に繋がりました」

——当時のスコッドにあって、田中さんはひときわ多忙でした。シリーズの直前までスーパーラグビーのシーズンを過ごし、途中合流から本番を迎えました。

「日本ラグビーのためだと思っていたので、苦ではなかったです。身体がしんどかっただけで、やる気は満点でした。

 …あの時、初キャップを獲ったのがリース・パッチェルです」

——パッチェル選手は2013年6月8日の東大阪市花園ラグビー場での第1戦(日本代表は18-22で敗戦)で、後半24分にデビューを飾っています。2024年度には、田中さんがアカデミーディレクターを務めるNECグリーンロケッツ東葛に在籍しました。

「この前、(約12年越しに)ジャージィを交換したんです。僕のセカンドジャージィと、向こうの——その時のものではないですけど——ウェールズ代表の1枚を。彼が(母国に)帰る直前です。すごくいいラグビーの文化というか、つながりだと感じました」


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