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【1st Anniversary /コラム】私たちのど真ん中。

【1st Anniversary /コラム】私たちのど真ん中。

田村一博

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 2024年6月17日は、ほぼ徹夜作業だった。
 これじゃラグマガ編集部のときとあんまり変わんねえな。
 鹿児島のホテルで、そんなふうに何度つぶやいたか。

 翌日がWebマガジン『Just RUGBY』を始める日と告知していた。訪れる人が見た時、「なんだこれ」と思わないように、記事の数をある程度揃えるための作業は当日明け方まで続いた。
 九州高校大会の取材には、ボーッとした頭で出掛けた。

 ラグビーマガジン編集部を正式に離れたのが2024年3月末。でも、やっぱりラグビーに関わる仕事がしたくて、新しいWebサイトを立ち上げることにした。
 一人では何もできないから仲間にお願いし、走り出す準備をしてきたのに、スタートラインに立つ時点でヒーヒー言っていた。
 印刷所や販売部から怒声が届くことこそないけれど、6月18日の朝は、雑誌校了時と似た緊張感があった。

 記者会見などで「ジャストラグビーの田村です」と言うのが気恥ずかしくて、早口でゴニョゴニョ言っていた頃が懐かしい。
 Jスポーツの解説の仕事の際、アナウンサーの方々は中継の冒頭に「マイクロホンサイドの紹介です」と話す。当初、前ラグビーマガジン編集長だったものは、やがて『Just RUGBY』編集長になった。
 1年前に突然出現したWebサイトは、少しずつ広がっていると体感している。

 編集方針は最初の日、雑誌の『巻頭言』のようなコラムで書いたように、情報ページでなく、あとでまた読みたくなるような記事を掲載すること。
 ラグビー愛好家(プレーヤーもファンも)が、自分がこのスポーツを好きでよかった、と思うようなサイトを目指している。

2024年6月18日、スタートの日に鹿児島で食べたもの。この1年でWebサイトのデザインが少し変わり、著者名をクリックすると、その人の記事ばかりが出てくる機能も増えた。写真クリックで拡大表示となるのも好評。(Just RUGBY 編集部)


 ただ、『ラグビーどまん中』の看板を掲げながら、強豪チームやスター選手の記事は多くない。
 人の心の真ん中に刺さるようなストーリーを伝えたい。

 365日経って記事総数は、このコラムで653本目。平均すれば一日に2本弱だから他と比べたら発信量は少ないかもしれない。
 しかし、一人ひとりの書き手の方が楽しんで、熱を込めて書いた短編集がぎっしりと本棚に詰まっているようなWebサイトになった気がしている。

 毎日なにかしら記事をアップしたり、書いたりしているので、体力的、精神的には楽ではないけれど、これまで以上に遊ぶように働いているので毎日が楽しい。

 会いたい人のもとを訪ね、ラグビーや人生、考え方について話す。多くの人に知ってほしい人や出来事に出会う毎日だ。

◆やっぱりラグビーがしたくて。


 つい先日も、自分はこういうことを多くの人に知ってもらいたいからこの仕事に就いている、と言える一日があった。

 6月14日だった。小雨の降る横浜の保土ケ谷公園ラグビー場では、全国高校セブンズの神奈川県予選がおこなわれていた。

 その大会に出場する合同Cチームは、えぼしラグビークラブ、相模原シールズ、湘南アルタイルズと、3つのクラブチームのメンバーで構成されていた。

 通っている高校にラグビー部がないだとか、部活はあるのだけど、違った環境で楕円球を追いたい少年たちの集まり。
 同大会にクラブチームが参加するのは初めてのことで、全国高校セブンズの大会規定により、予選を突破すれば全国大会の舞台にも立つことができる。

 初戦を平塚工科と戦った合同Cは、先制トライを奪ったものの12-33と敗れた。
 しかし、大会に備えておこなった練習はわずかな回数も、パスがつながった。トライを取れば抱き合って喜ぶ。新調のジャージーを着た少年たちを見て、すぐに合同チームと分かる人はいないだろう。

2試合で4トライを挙げた合同C。好タックルあり、いいつなぎあり。のびのびとプレーした。コーチたちから、「取ったトライ、よかったぞ。自信にしよう」、「日本代表もそれぞれのチームから集まったところからひとつのチームになっていく。一緒だ」と声が飛んだ。(撮影/松本かおり)


 このチームのキャプテンを務めたのは七里ガ浜高校の小林郁心(いくみ)。同校にはラグビー部があるものの、えぼしラグビークラブに所属している3年生。2年生の終わりまでは、高校ラグビー部でキャプテンを務めていた。

 部を離れた理由について「熱があわなくてやめちゃいました」と話す。情熱的にチームを引っ張る主将は、仲間との温度差に悶々としていた。「みんな、もっとやれんじゃね」と直接言ったかどうかは定かではないが、自分が去ることにした。

 そんな時、えぼしラグビークラブの存在を教えてくれた人がいた。
「で、5月に入りました。やっぱりラグビーは楽しいですよ」
 以前と違い、過ごす時間は短いのに「コミュニケーションをとれば、パスはつながるんですよ」。そんなときも「ひとつになれたと感じるんです」と笑顔を見せる。

 高校入学時、部に入れば学校のジムを使えると知り、始めたラグビーは自分に合っていた。将来は自衛官になりたいというフランカーは、「被災地に行って、住民のために力を注ぐ自衛隊を見て、自分も人を助ける人になりたい」と、描く将来の原点がそこにあると口にする。
 防衛大進学希望。ラグビーも続けるつもりだ。

 小林自身好タックルから相手ボールを奪ったり、それぞれが持ち味を出して戦ったものの、平塚工科に敗れた合同Cチームは、ピッチの外に出ると円陣を作って座り、ゲームキャプテンを務めた田川遼人(はると)らが14分のレビューを終えると、みんなしばらく下を向いていた。

 その輪に近づき、「みんなお疲れ様です」と切り出したのが小森允紘コーチだった。
 長崎北陽台高校、早大、リコーでCTBとして活躍した同コーチは、現役引退後は早大や日本IBMビッグブルーで指導者を務め、男子セブンズ日本代表のアナリストも務めた。
 現在はチェイスラグビーアカデミーの代表を務め、子どもたちにこのスポーツの魅力を伝えている。

◆この空気がたまらない。


 48歳になったその人は、「公式戦にワクワクしています。そこに関われています。コーチは(試合に)出られないんだけど、(独特の)ぴりぴり感があって、嬉しいし、またこういうところに戻ってこられたな、と感じました」と胸の高鳴りを伝えた。

選手たちに歩み寄り、感謝の気持ちとアドバイスを送る小森允紘コーチ。(撮影/松本かおり)


 そして、「みんなが頑張っている姿を見て…」と言ったところで涙をこらえ切れず、かすれた声で「むちゃくちゃ感動しました」と感謝の気持ちを伝えた。
「(負けたからと)下を向く必要はなくて、自分のプレーを一生懸命やってほしいと思います。上手にやろうとするんじゃなくて、もっとコミュニケーションをとって、きょうのチームはどうやったらうまくできるかな、とみんなで考えよう。一つひとつ、一瞬一瞬を大切にしながらプレーしよう」

「君たちは、それができる。コーチの僕にはできない。だから、大切にプレーしてほしい。一回パスしたら仲間。もっとできる。もっと自信を持ってプレーしていいよ。きついけど、最後はもう立っていられないぐらい出し切ろう」とみんなを勇気づけた。

「ミスは起こるよ。ミスしたっていいじゃん。でも、中途半端にプレーしてミスしたらいつまでも(心の中に)残るよ。コーチは、何十年もラグビーをやってきて、覚えているのはそういうミスばかり。小学校の時にパスできなかったプレーとか、大学の時の国立競技場でのミス、社会人でもそう。みんなに、そういうものを減らしてほしいから、前向きにプレーしよう。そしたら、いいプレーになるよ、絶対」
「うらやましくてしょうがない」と言って、みんなへの呼びかけを終えた。

 ドラマなら、コーチのそんな熱い話のあとには勝利をつかむものだが、合同チームは次の平塚学園戦に12-36と敗れて、全国高校セブンズの予選を終えた。
 しかし、選手たちは清々しい顔をしていた。

 試合後の円陣では選手たち一人ひとりが、思い思いに言葉を発した。
 ゲームキャプテンの田川は中学から東海大相模に学ぶ高校3年生。年長からさがみ・南ラグビースクールに入り、東海大相模中でもプレーを続けた。しかし高校では書道部へ。ラグビーはクラブチームの相模原シールズで楽しんでいる。

周囲の大人たちも幸せにする、えぼしラグビークラブ、相模原シールズ、湘南アルタイルズのメンバー。(撮影/松本かおり)


 この日の2試合を振り返り、「1試合目は空回りしたけど、2試合目は人にまかすところは任せ、成長できたと思います」と話した田川は、仲間たちに「初めてキャプテンをやらせてもらい、楽しかった」とお礼を言った。
 巨漢の2年生、小山賢人は、「一緒にスクラムやラインアウトをやってくれた人たち、楽しかった。ありがとう」と照れた。

 マネージャーの近藤華梨(かりん)は向上高校の3年生。普段は、相模原シールズでチームの世話をしている。
 しっかり者の近藤は、「公式戦を経験できるとは思っていなかった私に、いい経験をさせてくれてありがとう」と、大きな声と笑顔で全員に気持ちを伝えた。
 選手たちも、その周りの大人たちも、雨の降る中で心の中は青空だった。

◆僕らにはないものを持っている。


 そんな、あったかい時間を過ごしたら、会いたい人のことを思い出して月曜日には富山に向かった。
 高岡第一高校ラグビー部の吉田治夫先生は、相変わらず変わっていて、熱心で、まっすぐだった。

 同先生はいま、砺波高校の城石敦也先生らと一緒に、富山県西部地区の高校ラクビーを盛り上げている。
 高岡第一と砺波、砺波工、高岡、南砺福野、龍谷富山の6校の部員たちが集まって構成しているチームの名は『T-HAWKS RFC』。この先、いずれかの学校が単独チームを組める人数になろうと、同クラブで活動していこうと結束している。

 2023年12月から新たにエンブレムも作り、続いてチームウェアやジャージーも作成。この6月20日〜22日にかけて実施される北信越大会のCブロックにも富山県2位として、『T-HAWKS』のジャージーを着て出場する(今回は龍谷富山の部員はなし)。

 吉田先生がマイクロバスを運転し、遠方の高岡方面から生徒たちを砺波のグラウンドに送り、帰りも連れて帰る生活が毎日繰り返される。
 お陰でチームの結束は強い。キャプテンを務める橋場皓生(はしば・こうせい)主将は、「自分の学校にはいないようなキャラクターが他校にはいるので、それがチームにとってはいいように感じています」と話した。

富山県西部、呉西地区の高校ラグビーを熱くするT-HAWKS。写真左下が橋場皓生主将。(撮影/松本かおり)


 6月16日の砺波市は暑かった。しかし、その中でチームは1時間弱動き続けた。キャプテンはその時間を振り返って「みんな、いい熱量でやれていた」と話し、数日後に始まる北信越大会へ、仲間たちといい足取りで進めていることを伝えた。

 練習の最後の円陣で、橋場主将は砺波工の2年、巨漢の篠田駿に対してこう言った。
「駿は手を抜くこともあるけど、きょうはよく走っていた。よかったよ。プライドを見せてくれた。みんなも、プライドをもってやろう。戦おう」
 この集団に合同の表現は似合わない。T-HAWKSは絶対にひとつのチームだ。

 キャプテンは合同とかT-HAWKSとか、呼び名はあまり気にならないと言うが、「以前は試合中も合同いくぞ、みたいに声を出していましたが、いまはT-HAWKSと言っています。応援してくれる人たちもその方が応援しやすそうだし、メディアもその名前だから注目してくれる。そう考えると、この名前で活動している方がいいことが多いし、浸透してきていると思います」。

 せっかくT-HAWKSで活動しているのだ。「その名にプライドを持って、やってやるぞ、という気持ちで戦いたい」と話し、その名を花園に刻めたら最高と言った。
 大学ラグビーでも頑張りたいそうだ。競技歴には、T-HAWKSの名を書き込んでほしい。

 高校生や指導者、いろんなチームの選手たちから感じる熱は、いたるところにある。
『Just RUGBY』が始まって、まだ1年。世の中と自分たちのど真ん中の違いは気にせず、思うままに歩いていこう。





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