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同情を禁じ得ぬ。ものものしい言い方かな。
3月15日。午前10時45分。名古屋駅着。素直にパロマ瑞穂ラグビー場へ向かえばよいのに、やはり太閤通りに全身を持って行かれる。とぼとぼ歩いて10分強、愛してやまぬ中国料理富士の開店時刻を狙うのだ。何年前か、たまたま見つけて、ずっと脳のどこかに、質素で清潔な店内の様子は棲んでいる。水ギョーザ。本日もまた、大衆の胃袋を支えて、なお典雅なのだった。
地下鉄でスタジアムへ。午後2時5分のキックオフ。トヨタヴェルブリッツとぶつかる浦安D-Rocksに同情=他者の不幸をその身になってともに感じる=を覚えたのは後半3分30秒のあたりだった。この場合は不幸というより不運。
7点リードのヴェルブリッツの右外へのパスが乱れ、オールブラックスで19キャップのウイング、マーク・テレアが足で処理、地面に落ちたボールをつかんだ。放送席のモニターではノックオン、別称ノックフォワードと同時にタッチラインも越えたかに見えた。
興味深いのは、笛は鳴っていないのに、テレアがいったんプレーをやめかけた事実である。当然、浦安の面々の動きは止まる。芝に軽く暴れる楕円球、落胆の気配の元ニュージーランド代表をみなウォッチした。ところがプレーは続行。気持ちを入れ直して走り始めた14番は、前に人がひしめいても抜く才能があるのだから、もちろんインゴールの近くまで進んだ。

直後に5番のローレンス・エラスマスが2mの長身をトライラインの向こうにねじ入れた。最終スコアは59-19、このトライが白黒を分けたとは書けない。ただし、これほどワンサイドには傾かなかった可能性ならなくもない。
D-Rocksの不運を思う。なぜなら誤審ですらなかったからだ。まるでノックオンやタッチラインの踏み越えに映って「実際になんでもなし」。この世のあらゆる防御システムの対応できぬ事態である。
頭に浮かんだのは、36年前のスコットランドの勇姿だった。1990年5月~6月のニュージーランド遠征のダイジェスト版ビデオを当時入手、夢中になっていたコーチングのヒントにしようと、なんべんも再生した。
あのころのスコットランドのスタイルは創造性に富んでおり、「小国」ゆえの資源の劣勢を工夫で埋めて、充実期にあった(翌年のワールドカップでは4強進出)。同ツアーも地区代表に5勝1ドロー、オールブラックスとの2戦を落とすも、最終テストマッチは18-21とよく迫った。
英国圏のPAL規格を有料で移し替えたVHSのビデオはいつしかどこかへ消え、もはや確かめられないが、薄れる記憶では、対カンタベリーにおけるサインプレーに思わず膝を打った。
スクラム起点の左展開。10番がインサイドのセンターを飛ばし、外の13番へ山なりのなんというのか情けないようなパスを放る。キャッチする選手は高い軌道にジャンプ、ディフェンスのラインにくるりと背を向けて着地、そこへ飛ばされた12番が回り込んで突破する。

ふんわり舞うパスと不器用な体勢でのキャッチがタックルや圧力の意識を引き寄せた。予期せぬ出来事のもたらす「ボールウォッチ」。先日のマーク・テレアの例は期せずしてだが、大昔のスコットランドは意図的に用いた。
それよりさらに9年前の1981年春某日。早稲田大学の大西鐵之祐監督は月曜の定例ミーティングで部員に言った。
「ボールがバウンドしたらチャンスや。相手がボースフットになるからな」
ボースフットとは、いま振り返ると造語なのだろうか、意味するところは「防御の選手の両足がそろう」。45年後のトヨタ-浦安のあれだ。
同様の文脈で、4年生のハーフは「ラインアウトからの苦しいこぼれ球こそ、そのまま10番へ投げろ」と後輩に教えた。
ココロはもちろん「はねたボールにディフェンスの意識は引き寄せられるのだから、そこからすぐ離してしまえ」。スタンドオフの足元でもうひとつバウンドすれば、まさにボースフット誘因、ゲインは確実だ。
ラグビーは変化する。競技ルールもしきりに改正というか改変される。
それでもボールウォッチや「ボースフット」は、古きアマチュア時代の学生さんにも、現在進行のプロ最前線にも等しく発生する。人間の本能、反射神経の領域だからだ。
スポーツを長く追えば、進歩と改革を繰り返しても、根源の「身体の動き」は理屈では操作できぬとわかってくる。100年前の名スタンドオフの捕球直前の両つま先の向き、肩の稼働のほどよい脱力は、きっと、リッチー・モウンガの自然な動作と重なる。あらぬ方向へのへんてこりんなパスが守る側の心身に空洞現象を招くのも変わらない。

のんびり走る人間めがけて高速のハードヒットはできない。
ラインアウトのジャンプ役なのに跳ぼうとはせず立ったままのロックに球を投入すると、けっこう確保できる。
最強のボール保持ランナーとは激しく当たる暴れん坊にあらず、倒しにくる相手に関心を抱かず、その向こうへ駆け抜ける者である。ぶちかます。止めてみせる。そうした「ふたりの世界」をつくらない。
逆も真かもしれない。体重65kgのバックスが同98kgとスクラム起点のディフェンスで正対したら、全力スプリントで飛び出し、両腕はぶらぶらのまま、こちらの胸をあちらの胸にピタリとつけてしまう(危険なタックル級の激突でなしに、あくまでも、くっつける)と、身動きがとれなくなる。
以上、すべてラグビーの、というより、ラグビーをするヒトの本来である。
マーク・テレアの「まるで落球=タックルできず」もしかりだ。よって、あらためて浦安D-Rocksに同情を、いや、その言葉がいくらか失礼ならば、こう述べよう。
「あれは、ちょっと、かわいそうやった」
再現不能につき対策不要。偶然のようでありながら、実はラグビーらしい必然を含む失トライの一幕には「ちょっと、かわいそう」くらいの表現がふさわしい。