雪の中だろうが好きなものは好き。
いや。余計に楽しいかもしれない。
いつものようにはできなくても、深い雪に足をとられて転んでも笑顔が出る。
世界と戦っている時は、いつも気が張っていた。徹底して負けず嫌いだった。
深い冬と書いて「みふゆ」。サクラのエンブレムを胸に何度も世界と戦ってきた小出(こいで)深冬は横浜育ちも、秋田出身の母が故郷で出産したため、その名前になった。
1995年12月21日はたくさん雪が降っていたそうだ。
今年1月、小出は現役引退の決意をみんなに伝えた。
サクラセブンズとしてキャップ25。2016年に開催されたリオ五輪に出場した。コロナ禍の影響を受けて1年延期となり、2021年に開催された東京オリンピックのメンバーにも選ばれた。
加速力のあるランニングと仕事量の多さでチームへの貢献度は高かった。
1月4日、自身のSNSに「この度、今シーズンをもってラグビー選手人生に区切りをつけることを決断しました。ここまでの選手人生を支えてくださった皆さま、本当にありがとうございました!」と心境を綴った。

2月8日に青森・弘前でおこなわれた雪上ラグビー大会の会場で本人と会った。冒頭のように、雪の中でのラグビーを楽しんでいた。そして、「(引退を)決めたのはちょうど1年ぐらい前でした」と話した。
「2025年1月に(所属するアルカス熊谷での)15人制シーズンが終わったタイミングで、次のシーズンで最後にしようと決めていました。もうあと1、2年かな……という思いを2、3年ほど続けていました」
ラグビーが楽しくて、グラウンドに出れば仲間がいる。そんな日常が大好きだったけど、2025年の暮れに30歳になった。
2度のオリンピックと2022年に南アフリカで実施されたワールドカップ・セブンズに出場。目標としていた世界の舞台に立った達成感も、思うような成績を残せなかった悔しさも、どちらも自分が残した爪痕で人生の宝。何度でも味わいたいと思い、緊張感漂う舞台を追い続けてきた。
しかし、この先もチャレンジし続けるとなると、とてつもなく厳しい道程が待っているのは経験から重々分かっている。だから、2022年に日本代表を離れてからは「気持ちが切れた感じで、練習に行く足取りも重くなっていたんです」。
そんな事実に「もう終わりにするのがいいかな」と考えた。
「ラグビーを続けている限り、常に成長し続けたい」と、熱を持ってやってきた。
そうできないのなら、と決断した。
長く没頭した世界への入り口はタグラグビーだった。2歳下の弟が関東学院大学のラグビー教室に通うようになり、自分もグラウンドに足を運んだ。そこではタグラグビーの釜利谷クラブも活動していた。
自分も手に楕円球を持ち、腰にタグを付けるようになり。走り回った。
中学からは女子チーム、横浜ラグビーアカデミーに入った。横浜市立金沢高校の3年まで在籍し、卒業後は東京学芸大学に進学した。
同大学のラグビーに入って普段は練習し、アルカス熊谷(ARUKAS QUEEN KUMAGAYA WOMEN’S RUGBY FOOTBALL CLUB)に加わって女子の試合、大会でプレーした。
引退するまでアルカス一筋で過ごした。
一つのクラブに在籍し続けた理由を、「私を大きく育ててくれましたから。アルカスの、いろんなところが好きなんです」と言う。
「小学生から大学生までいろんなカテゴリーの学生がいて大人もいる。そういう幅のある大きなクラブって、あまりない。その中にいて、自分のキャリアでなく、好きなクラブをさらに大きくしていく存在になれたら、という思いでやってきました」

出場した2度のオリンピックについて、「本当に目指してよかった」と振り返る。リオでは10位(12か国中/勝利はケニア戦のみ)。東京では全敗で12位。その結果は悔しかったけれど、「オリンピックがあったからこそ(広く)女子ラグビーの存在を知ってもらうきっかけになった」と実感した。
オリンピックは、出場したこと自体もそうだけど、そのプロセスが自分を強くしてくれた。
「その目標に向かって、本当に1つずつ積み上げていく。諦めずに、そこに向かったからこそ得られたものがすごく大きいな、と思いました」
怪我などもあり、辞める機会はもっとはやく、何回もあったかもしれない。でも、2度の五輪を目指したからいまの自分があるのだと言い切れる。
長く真剣に向き合ってきたラグビー。それは自分にとって、「人生の中心にあるもの。選手の時は、ずっとそう答えていました」。
引退を決めてから、それが少し変わった。
「人生を楽しく幸せにしてくれるものに出会えたな、と思っています」
「体を張って、チームのために何か達成したい。そういう思いが生まれる。それがラグビーの魅力かな、って思います。女子ラグビーって、まだまだ人口が少ないこともあり、コミュニティが小さいからこそいろんな人とつながれる良さもある。ラグビーがいろんな縁を作ってくれたという思いもあるので、人生、楽しいことが増えたように感じています」
もっとも印象に残っている大会は、世界への扉を開いた時のものだ。2014年、セブンズのワールドシリーズに初めて参加したのがアトランタ大会だった(高校3年時)。「初トライを取ったスペイン戦のことは、すごく鮮明に覚えています」
リオ五輪への出場を決めた、2015年のアジア予選も印象深い。
「東京でやった大会です。こんなにたくさん、応援してくださる人がいるんだ、と。すごく印象に残っています」

もう辞めたい。そう思ったことが何度もある。リオ五輪後に膝を痛め、翌年以降は、腰の怪我、手術、肩の脱臼と、毎年のようにピッチから離れた。
「次に大きい怪我をしたらもういいや、って思うことの連続でした」
それでも立ち上がり、また走り始められたのは、「リオが終わってからは、次、絶対に東京(での五輪)で結果を残そうという思いがあったので、怪我をしても、もう一回あそこの舞台に立つんだ、という思いを持ち続けられました」
結果的に東京でも思うような成績は残せなかったけれど、プロセスに後悔はない。
今後は、仕事(三井住友海上火災保険株式会社勤務)とコーチとしての成長と実践を並行して進めていく。現役時代から、周囲にコーチングの勉強を勧められていた。すでにコーチングライセンスも取得している(A級)。
今年1月にはセブンズユースアカデミーの合宿に参加。未来のサクラセブンズへの指導を継続的に続け、少しずつキャリアを積んでいく。
「次世代の選手を育てるコーチになりたい」と将来像を口にする。
「中高生が長く選手を続けたいと思えるような指導をしたり、将来日本代表を目指す選手の育成など、裾野を広げることをやれたら、と思っています。小学生たちにラグビーの魅力をいろいろ伝えていきたい。若い世代のコーチを目指したいですね」
若い頃の自分が出会ったコーチたちに感謝している。
「中高生の時に出会ったコーチたちがラグビーのスキルがうまくなるための指導をしてくれたこともそうですし、いろんな世界を見せてくれて、それが世界を目指したいと思うきっかけになりました」
出会った人たちがいろんな選択肢があることを教えてくれたから、「ラグビーでキャリアを積んでいきたい思いがすごく強くなり、どんどんラグビーが好きになっていった。そういう子が1人でも多く増えていくといいな、っていう思いがずっとあるんです」。
だから、若い世代と関わりたい。

自分はトップを目指して脇目も振らず走ってきたけれど、そればかりが正解とは思わない。
「女子の競技人口が増えてほしい。いまはまだ、トップを目指してないとなかなか続けられない環境が女子にはあると思うんです。もっと楽しみながら、長く続けられる環境がもっと整えばいいと思います。いろんな選手が、いろんな形でラグビーをすることが、女子のラグビーにも広がっていけばいいですよね」
3月16日から始まった、女子セブンズシニアアカデミー合宿に参加するスタッフの中に、コーチとして名前がある。選手たちには、自分と同じように高校生で世界に出た選手もいれば、これから海外へ出ていく者も、アルカスの後輩もいる。
得意のフットワークと向上心、負けず嫌いの性格で、長く第一線で戦ってきた。怪我にも苦しんだ。伝えられること、伝えたいことはたくさんある。