【編集部注】日本国内での公式登録名はルドウィック・カイヤ。リュドヴィック・ケールは現地での発音。
フランス協会と日本協会のレフリー交流プログラムの一環として、リュドヴィック・ケール氏(37歳)が来日。リーグワンでレフリー2試合、アシスタントレフリー2試合を担当した。
このインタビューは2月26日に実施。アシスタントレフリーを務めたレッドハリケーンズ大阪×日本製鉄釜石シーウェイブス(15-14/2月21日)、レフリーとして笛を吹いた三重ホンダヒート×静岡ブルーレヴズ(26-21/2月22日)を経験したあとにおこなわれた。
本国フランスでケール氏は、『プレーの継続性を重視するレフリー』と評され、自身も『レフリーは試合のファシリテーターであるべき』と公言している。過密な滞在スケジュールの合間を縫って実現した今回の取材では、ラグビーとの出会いや大怪我による転向、日々の取り組み、そしてトップ14とリーグワンの差異まで幅広く語ってもらった。
その対話の端々に現れる彼のレフリング哲学は、判定の基準と同様、常に『明白かつ一目瞭然(Clear & Obvious)』だ。

◆怪我で踏み出したレフリーへの道は、トップ14決勝へ続いた。
——どのようにラグビーと出会われたのですか?
「私の家族はラグビー一家で、両親は今でもラグビーファンです。姉もそうです。とにかく、家族全員がラグビーを愛しているんです」
——では、ラグビーを始めるのは自然な流れだったのですね?
「ええ。フランスのデュラス(ボルドーの南西約60キロ、Wikipediaによると2023年の人口1208人)という小さな村にある小さなクラブだったのですが、父がそのクラブの会長を務めていましたし、当時、デュラスの中学校にいた10歳から15歳の男の子は、みんなラグビーをプレーしていたんです。ですから、私がラグビーをするのは至極当然のことでした」
——始めた当時、あなたは何歳でしたか?
「9歳でした。それから15歳になるまでプレーしていました」
——大きな怪我をされたのですよね……。
「ええ、その通りです。タックルをした時に、首の頸椎をひどく捻挫してしまいました。ボルドーの病院で手術を受け、3つの頸椎を固定しました。手術を受けたことで、もうプレーすることは許されなくなりました。15歳の時です。プレーができなくなったため、手術とリハビリで1年ほど入院生活を送りました。もう少しで全身不随になるところでした。本当に運が良かったです。もうプレーはできなくなりましたが、そこでレフリーを始めることにしたのです」
——ラグビー界にとどまるために、ですか?
「自分の情熱そのものであるラグビー界に居続けたいと思っていました。でもプレーすることはもう許されない。15歳で指導者になるのは少し若すぎて難しかったので、自然とレフリーの道に目が向きました。結局のところ、それは『災い転じて福となす』でした。もし怪我をしていなければ、レフリーの道を選んでいたかどうかは分かりません。レフリーを始めて、そこに大きな喜びを見出しました。それから毎年一歩ずつステップアップしていったのです」
——レフリーとしての最初の経験から、すぐに「これだ!」と思いましたか?
「ええ、その通りです。他に選択肢がなくて仕方なく始めたようなものでした。とにかくラグビー界に留まりたかったので。でも、最初の試合からすぐに気に入りました。すごく楽しかったんです。レフリーの世界でも素晴らしい人たちに出会えました。選手、指導者、そして他のレフリーたち……良い出会いに恵まれ、仲間たちとの絆も深まり、レフリーという仕事が好きになって、毎年続けていくうちにいまの場所に辿り着きました」
——それから、地域リーグ、フェデラル(全国区のアマチュアリーグ)、プロD2(プロ2部リーグ)、そしてトップ14へ。
「はい、その通りです。毎年一歩ずつ、段階を昇ってきました。最初は地元のU16で始め、地域リーグのシニアの下部のカテゴリーでレフリーをするようになりました。その後、筆記試験に合格し、グラウンドでのパフォーマンスも評価されて、フェデラルへと昇格しました。 そこからはかなり早かったですね。フェデラル3部には3年いましたが、フェデラル2部は1年、フェデラル1部も1年、プロD2は2年。そうしてトップ14に辿り着いたのです」
——トップ14での活動は2017年に始められました。そして2024年に決勝(トゥールーズ×ボルドー)を吹かれています。
「ええ。でも、トップ14は世界最高峰のリーグの一つですから、そこに辿り着けたこと自体、すでに大きな誇りです。その上で決勝の舞台で笛を吹けるというのは、この上ない名誉であり、誰もができることではありません。それが許される人数はごく限られています。レフリーを始めたばかりの頃、いつかトップ14の決勝で笛を吹く自分なんて想像もしていませんでした。それが実現できた。本当に魔法のような瞬間でしたし、またいつか別の決勝も担当できればと願っています」
——あの年は特別な決勝でしたね。
「第4レフリーとして1回、アシスタントレフリーとして3回、そしてレフリーとして1回、全部で4、5回は決勝の舞台に立っていると思います。レフリーを務めたあの決勝までは、経験したすべての決勝がパリのスタッド・ド・フランスで開催されていました。でも2年前の決勝はマルセイユのスタッド・ヴェロドロームだったんです。フランスでオリンピックが開催される年だったので、その年の6月はスタッド・ド・フランスが使えなかった。
スタッド・ド・フランスでの決勝を何度も経験して思うのですが、あそこは8万2000人も入るので、もちろん特別ですし雰囲気も最高なのですが、観客席が私たちから少し遠いんです。一方、ヴェロドロームはそれより2万人少ない6万2000人収容ですが(LNRの発表によれば、この決勝では6万6760人)、音の響きや雰囲気はスタッド・ド・フランスよりもずっと圧倒的なんです。サッカースタジアムなので、音が外に逃げずにスタジアムの中に留まるような構造になっています。フィールドに立っていると、プレッシャーや振動、あらゆる感情が、スタッド・ド・フランスよりもずっとダイレクトに伝わってきます。特別なスタジアムへ場所を移しておこなわれた決勝。本当に素晴らしいひとときでした」

——レフリーも、観客の熱気や感情のうねりを感じられる方がお好きなのですか?
「ええ、その通りです。そのためにレフリーをやっているところもあります。こうした感情や空気を肌で感じれば感じるほど、ピッチに立つ喜びも大きくなります。 ただ、トップ14の決勝ともなると、プレッシャーはとてつもなく大きいです。決勝の数日前は、プレッシャーのあまりよく眠れないこともありました。 でも、いざピッチに立ち、キックオフの笛が鳴り響けば、もう大丈夫。自分たちのプロセスに入り、何をすべきか分かっていますから。
決勝を迎えるまでの時間は、できる限りその瞬間を楽しもうとするのですが、あまりのプレッシャーでなかなか楽しめないこともあります。『完璧にやり遂げたい』という思いが強いですからね。それでも、キックオフの笛が鳴ってフィールドに身を置けば、そこにある感情を存分に味わうことができます。あの決勝も、本当に素晴らしいひとときでした」
——スコアの面でも、特別な展開でしたね(59-3でトゥールーズ勝利)。
「ええ。試合前は接戦が予想されていましが、ボルドーが本来の力を出し切れず、トゥールーズが早々に主導権を握りました。始まって20分も経つと、私自身のプレッシャーも少し和らぎました。そのため、試合を裁くこと自体はそれほど難しくありませんでした。ただプレーの動きを追っていけばよかったのです。特に勝敗が決した最後の20分間は、自分の判定が試合結果に影響を与えることはもうないと分かっていたので、さらにリラックスして、その瞬間を存分に味わうことができたのです」
◆綿密な準備、レビューと対話。日本の試合では1.5キロ以上多く走った。
——レフリーとしての日常はどのように過ごされているのですか? フランス協会のレフリング・ハイパフォーマンス部門と一緒に試合を見直し、分析されているのでしょうか?
「ええ、その通りです。トップ14の試合では、6名で構成されるハイパフォーマンス部門が私たちの試合をチェックしています。担当試合ごとに、必ず一人が割り当てられます。試合が終わると、専用のソフトウェアを使って、私たちのすべての判定を細かく切り出した映像を確認します。
そこで、自分がおこなったすべての判定について、『正しかったか、そうでなかったか、それはなぜか』という見解を自分自身で出さなければなりません。試合を見直して、ミスや『ノン・デシジョン(吹くべきだったのに吹かなかった場面)』をすべて洗い出します。トライやカード提示など、試合に大きな影響を与える判定が妥当だったかを分析し、分析官からフィードバックをもらいます。月曜から火曜にかけてこの作業を行い、前週末の試合を総括します。
火曜の午後には部門のメンバーとビデオ会議を行い、前週末に問題となったケースを共有します。それらを分析し、どのような判定を下すべきだったか、レフリー団の中での共通認識を作るよう努めています。月曜と火曜は、こうした前回の試合の振り返りという技術的な仕事に多くの時間を割いています。
火曜日から水曜日にかけて、次の試合の準備を始めます。私の場合は、対戦する両チームの直近2試合ずつをチェックするようにしています。しかも、実際の試合と同じ条件(ホームかアウェーか)で見るのが私のスタイルです。
例えば、『トゥールーズ(ホーム)×トゥーロン(ビジター)』の試合を担当するなら、トゥールーズの直近のホームゲーム2試合と、トゥーロンの直近のアウェイゲーム2試合を見ます。この分析をもとに映像を切り出して、アシスタントやTMOに送ります。フィールドで直面するであろう状況に、チームとして万全の体制で臨むためです。
こうした作業と並行して、フィジカルトレーニングもあります。協会に専属のS/Cコーチがいて、遠隔でサポートしてくれています。毎朝、その日のトレーニングメニューが送られてきます。週の練習中にはGPSデバイスを装着しているので、コーチはそのデータを確認して、私たちが適切にトレーニングをおこなっているかを管理しています。こうした技術的な準備、日々のトレーニング、そしてもちろん家族との生活……これらすべてを両立させているのです 。
よく聞かれるんですよ。『試合はたった80分なのに、それ以外の時間は何をしているの?』って(笑)。でも実際には、技術的な分析や準備など、常にやるべきことがあります。コーチ陣とのやり取りも非常に多いですね。コーチたちからプレーの映像クリップが送られてくることもありますし、それに対して私たちが回答することもあります。各クラブ、私たちレフリー、そしてハイパフォーマンス部門の間で、頻繁に意見の交換がおこなわれています」
——各クラブのコーチとは、どのようなやり取りをされているのですか?
「試合前の段階では、私の方からアクションを起こすことが多いです。例えばトゥールーズのユーゴ・モラや、トゥーロンのピエール・ミニョニといったヘッドコーチ(以下、HC)たちに連絡を入れます。彼らのチームの直近数試合の規律面を見て気づいたことや、注意すべき点などを送るのです。これは試合当日に彼らにペナルティを与えずに済むようにするための、いわば『予防措置』ですね。
逆に試合後は、コーチたちから映像が送られてくることが多いです。私の判定で納得がいかなかったものや、詳しく説明が欲しい場面についてですね。そこで意見が食い違う場合は議論を交わします。彼らの言い分が正しければ、私が間違っていたと認めます。もし私の方が正しい場合は、『こういう理由で、あのような判定を下したのだ』と説明します。こうして対話を重ねることで、お互いに納得し、誰もが判定の理由を理解できる『ウィン・ウィン』の関係を築けるのです」

——なるほど。そうした対話が、より良い試合づくりに大きく貢献しているのですね。
「ええ、まさにその通りです。ピッチに立つ時、私の目標は『できるだけ笛を吹かないこと』なんです。選手たちが素晴らしいパフォーマンスを見せられるようにするのが仕事ですから、笛を吹くためにそこにいるわけではありません。存在感が薄ければ薄いほど、笛を吹く回数が少なければ少ないほど、良いレフリングだと言えます。ですから、試合前にあらかじめ予測できることは伝え、次の試合で同じ反則を繰り返さないよう予防する。それが巡り巡って、中継を見ているファンやスタジアムの観客にとって『より長くボールが動く、エキサイティングな試合』を提供することに繋がります。やはり、『笛を吹かないに越したことはない』のです」
——リーグワン第9節の三重ホンダヒート×静岡ブルーレヴズでレフリーを務められました。どのようなところでトップ14との違いを感じられましたか?
「日本の試合でレフリーをするのは本当に楽しかったです。フランスにいる時から日本のリーグの試合を見て、チームの分析はかなり進めていました。
フランスとの違いについて感じたのは、トップ14ではメディアからのプレッシャーやスタジアムの独特な空気感、周囲の環境など、あらゆる面で受ける圧力がずっと大きいということです。フランスではどのスタジアムも満員で、観客からのプレッシャーも凄まじいものがあります。日本ではそこまでの圧迫感はありません。それに日常生活においても、日本の皆さんはとても親切で、フランスに比べると非常にリスペクトの精神が強いと感じます。優しくて、いつも最高のおもてなしをしてくれ、素晴らしい人たちばかりです。それはピッチの上でも実感しました。周囲の環境も選手たちも、どこか穏やかで落ち着いていて、安心感があるんです。
レフリングに関しても、ブレイクダウンがとてもクリーンだから、試合のリズムについていけばいいだけだったので、比較的裁きやすかったですね。フランスとの違いは、地上での激しい奪い合いが少ない代わりに、ボールが出るのが非常に速いこと。そのため、攻守の切り替えが日本の方がずっとスピーディーです。ボールがどんどん動き、スクラムハーフが常にボールに食らいついていて、絶えず動きとリズムがあるラグビーですね。
日本のレフリーとの勉強会で、この試合の冒頭のプレーを切り取って見せました。21か22フェーズも続く攻防の末、ホンダヒートが自陣ゴール前でボールを奪い返した場面です。フランスなら、一度落ち着いてキックを蹴り、陣地を挽回しようとするのが定石ですが、彼らは違いました。
奪った瞬間に自陣から即座にカウンターを仕掛け、そのまま100メートルを走りきってトライを決めたのです!本当に見事でした。これほど長いフェーズの後に、自陣から攻め切る光景はフランスでは滅多に見られません。フランスではもっとキックを使って陣地を確保し、相手のミスを待つ戦い方が一般的ですから。
そして、フランスでは、セットピースでのフィジカルの攻防がもっと激しいんです。フランスのスクラムは、日本や南半球のそれとは考え方が違います。日本などでは、スクラムはあくまで『攻撃を開始するための発射台(起点)』であり、ボールを入れてすぐにBKに出して展開しようとします。しかしフランスでは、まずスクラムで戦い、ボールを出す前にペナルティを勝ち取ろうとするんです。
フランスでは、ブレイクダウンやスクラム、モールでのバトルが非常に多くなります。対照的に日本では、プレーのスピードがずっと速く、攻守の切り替えが頻繁に起こります。実は、私自身のレフリングも、どちらかというとそうした展開の速いものに向いているんです。もちろんトップ14も最高に楽しいですが、正直に言って、日本でのレフリングは本当に心地よいものでした。展開が非常にスピーディーで、私はただその流れを追っていればよかった。
キャプテンや選手たちとの関係もとても良い。どちらのチームも南アフリカの(代表選手が)キャプテンでしたが、非常に礼儀正しかったです。本当に心地よい試合でした。ペナルティの数もそれほど多くありませんでした」

——8つか9つくらいでしたよね(三重9、静岡8)。
「クリーンな試合で、よくボールが動いていました。ブレイクダウンの展開が非常に速いので、ボールインプレイは日本の方が長いと思います。劇的な差ではないかもしれませんが、リズムがある分、確実に日本の方が長いです。フランスではラインアウト、スクラム、モールでの攻防に多くの時間が割かれますが、対照的に日本では、動きがあり、スピード感に溢れ、目まぐるしく攻守が切り替わる『トランジションのラグビー』がおこなわれています」
——日本の試合では相当走らなければなりませんね。
「まさにその通りです。来日前に試合の準備のために分析をしていた時から、日本のレフリーはすごく走っているという印象を受けていました。試合日はウォーミングアップからGPSを付けているのですが、フランスだと試合終了時の走行距離はだいたい平均7~8キロです。ところが日本では9.5キロに達していました。1.5キロから2キロほどフランスより多く走っていたことになります。
でも、これは驚くことではありません。先ほどの最初のプレーを例に出すと、フランスならボックスキックを蹴ってタッチに逃げ、ラインアウトになって一度プレーが止まっていたでしょう。しかし日本では、そこから100メートルのカウンターを仕掛けてトライまで持っていったように、攻守の切り替えや、動きのあるプレーが多いということです。
リーグの構造も影響していると思います。フランスのトップ14は順位が非常に拮抗しており、一つの勝ち負けで4位から11位まで転落するような激しいプレッシャーがあります。そのため『負けないこと』を優先し、リスクを避けがちです。一方、日本にはそこまでの恐怖心がないのか、リスクを恐れずに『勝つため、点を取るため』に挑戦する自由な空気があります。実際、コベルコ神戸スティーラーズ×静岡ブルーレヴズの試合を分析した際、スコアが60-45で驚きました。フランスでは9-6や12-9といったロースコアが普通で、これほどまでのハイスコアはまずあり得ません」
※次回、INTERVIEW・下につづく。