愛には8種類あることをご存知だろうか。
古代ギリシャによると、エロス、フィリア、ストルゲー、アガペー、ルードゥス、プラグマ、フィラウティア、マニア。
愛はこの8つに定義されるという。語感だけでいけば、大半は北欧の家具屋さんに並んでいそうだし、「アガペー!」なんかは、それ昔のギャグでありましたよね? と言われたら、つい「そうだったねぇ」なんて言ってしまいそうな感じもする。
高校の哲学の授業を思い出しながら書いているため、齟齬があってもご容赦願いたいのだが、エロスはその名の通り情欲的な愛。フィリアは友情的、ストルゲーは血縁的、アガペーは無償の愛で、ルードゥスは駆け引き的な愛、プラグマは長期的な愛、フィラウティアは自己愛、マニアは執着的な愛、とのことだ。
授業中に「エロス」という単語が先生の口から発せられたことが楽しくなってニヤニヤしていたアホな記憶がほぼ9割なのだが、要するに、愛は究極にはアガペーになる、とかなんとか、そんなことを学んだ気がする。

さて、愛といえば。
プロのコーチに、愛は必要か否か。
先日、とある選手とご飯を食べながら、ふとそんな話になった。
プロコーチは組織を勝たせることが仕事であって、選手に愛を持って接するかどうかは別の話なのでは、と。
とはいえ、お互い仕事なのだから、愛がなくても大義のために共に動かねばならないのでは、とか。いや、そもそも多くの女子選手にとってラグビーは仕事ではないから、やはり愛がなければ云々……とか。
そんな答えのない対話をしていた。
私はずっと「愛は不要」派であったのだが、ここ最近、コペルニクス的転回を迎えた。
人間同士なのだから、そりゃ愛は必要に決まっているだろう、と最初は絶対的に思っていた。しかし、多くの経験をする中で、最終的に「愛は必要ない派」となったのだ。十数年の代表経験の中で、愛情というものは、仕事として結果を求められる立場にとっては邪魔なものなのかもしれない、と感じることが多かったからである。
結果がすべてである組織にいる以上、勝率が高い選択肢をロボットのように選び続けることが正解だと思っていた。スパイ映画の主人公が、愛や感情にほだされて大ピンチを迎えるように、感情を見せること=隙を見せること、だと思っていた。
そうでなければ割り切れないことがたくさんあったし、感情や愛情を期待していたら、いろいろな意味で、私は今この立場にいなかったかもしれないと思うのだ。すべては自分の弱さが原因だが、フタをしてきた感情があまりにも多くあったがゆえに、プロに徹するには愛情や感情は要らないのだと、思い込んでいた。
しかし、兼松由香ヘッドコーチ率いるサクラセブンズの大躍進を1年間見ていて、「あぁ、愛は、やっぱり必要だ」と思ったのだ。
むしろそれこそが、今まで足りなかったものだったようだ。反省である。

11月30日、HSBC SVNSのドバイ大会にて、サクラセブンズがついに銅メダルを獲得し、歴史的快挙を成し遂げた。ヘッドコーチは、パリ五輪後に就任した兼松由香さん。日本の女子ラグビーのすべてを知るレジェンドであり、リオ五輪までの数年間、地獄のような日々を共に過ごした戦友でもある。
リオ五輪後に現役を引退されてからは、オリンピックやコーチングについて大学院で研究され、パリ五輪の半年前からはアシスタントコーチとしてサクラセブンズに加入。ヘッドコーチ就任からわずか1シーズンで、本当にあっという間に、メダルを獲った。
現役当時、まだ小さかった娘さんを育てながら、あの壮絶な日々をどのように過ごしていたのか。きっと誰よりも大変なご苦労があったはずだが、そんなことはおくびにも出さない、カッコいい人だった。プレースタイルもそうだったが、芯が強く、努力家で、そして誰よりも愛情深い。
そう、私が思うに、兼松さんはとにかく「愛」の人なのである。
実際に、兼松さんがユースチームのヘッドコーチをされていた際、スポットでアシスタントをさせていただいたことがある。選手一人ひとりの未来を大切にし、愛情を持って接するとはどういうことかを、学ばせていただいた。選手の成長のためならば、言いづらいこともしっかりと言う。
私ごときが由香さんを語るのは甚だ僭越なのだが、コーチングの知識や経験、スキルはもちろんのこと、人間力と覚悟、そして愛まである方なのだ。
選手たちに、兼松HC体制になってから、いったい何が変わったのか、どんな戦略を掲げ、練習をどう変えたのか、聞いてみたことがある。しかし、ある選手は「劇的に何かが変わったわけではない」と言い切った。強いて挙げるとすれば、と続けて、「私たちに無限の可能性があると、強く信じてくれることだ」と言った。
彼女たちを引き上げたものの正体は、この信頼と自信だったのだな、と思った。

言わずもがな、メンタル面だけではない。スキルとフィジカル、チーム力の成長の成果であることは、当たり前である。
今季のサクラセブンズは、キャリアーのボールキープスキルと、2枚目の寄りのはやさが目に見えて向上した。被ターンオーバーが減り、パス回数とオフロード数が一気に増えた。オフロードパスは、不確定な要素の中で投げる状況が多いため、前提として信頼がなければボールはつながらない。試合を見ていても、選手同士の「信頼」が大きく前進したように感じられた。ディフェンスにしても、特にインサイドの選手が相手を追うコースには、選手同士の信頼がよく表れている。
信頼とは、愛の一部であり、その人の価値や可能性を見続けることだそうだ。コーチはスキルを教えることはできるが、選手へ愛を与えられるかどうかは、その人の人間性の深さにもよるだろう。導こう、勝たせよう、といったレベルではない。きっと、もっと深いところにある。
ヘッドコーチから、愛と信頼を寄せられたサクラ戦士たちは、画面越しでも一回り大きくなったように見える。体のサイズは変わらない。いや、世界と比べれば、まだ小さいはずである。きっと、今までのサクラセブンズにはなかった「自信」というオーラを身にまとっているからなのだろう。
サクラセブンズの快進撃は、まだ序章に過ぎない。
3位で誰も満足していないのが、また格好いい。
次の五輪まで、あと2年。
世間はきっと簡単に期待を寄せるが、ここから先に直面する壁こそ、言葉で表せるような、生やさしいものではないだろう。
それでも、どうか暴れまくってほしい。
胸に金のメダルを掲げる、その日まで。
さて、私は、もっと深く、愛を学ばねばなるまい。
もう、エロスごときでニヤニヤしない。
【プロフィール】
中村知春/なかむら・ちはる
1988年4月25日生まれ。162センチ、64キロ。東京フェニックス→アルカス熊谷→ナナイロプリズム福岡。法大時代まではバスケットボール選手。2025年春まで電通東日本勤務。ナナイロプリズム福岡では選手兼GMを務める。リオ五輪(2016年)出場時は主将。2024年のパリ五輪にも出場した。女子セブンズ日本代表68キャップ。女子15人制日本代表キャップ4