![ここちよい時間。城南高校[福岡]](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/10/KM3_0797_3.jpg)
すでに花園出場が決まった地区もある。
高校ラグビーの秋。年末から年始にかけて東大阪市の聖地で実施される全国大会への出場を懸けた予選が各地でおこなわれている。
福岡県でも9月27日から花園予選が始まった。105回目の全国大会(記念大会)となる今年は、同県から2校が出場する。
強豪・東福岡高校は第1地区。第2地区を勝ち抜くチームはどこか、注目される。
全国トップクラスの東福岡だけでなく、大学ラグビーでも同県出身選手が多い。福岡では高校ラグビーがどれだけ盛んか、よく分かる。
どの学校にも多くの部員がいるのではないか。そう話したら、「いやいや、それは勝手な妄想」と返ってきた。

さらに各高校には、ラクビースクール経験者が多数いると信じているのも、他県の人たちの勝手な思い込みらしい。
そんな折、「城南高校のラグビー部にはこの春、多くの初心者が入ったそうですよ」と聞いたから、5月、同校へ向かった。
城南高校は、地下鉄・七隈線の茶山という駅から徒歩7分の住宅街にあった。
駅名の読み方は「ちゃやま」。博多駅から向かう時のひとつ手前の駅、別府の読み方は「べふ」。茶山の5つ先の野芥は「のけ」と読む。
城南高校は福岡県立の進学校。2024年度の進路実績には約150人が現役で国公立大学に合格(九大30人)。有名私大合格者も多い。
現在、トップレベルで活躍しているラグビー部OBは九州電力キューデンヴォルテクスのFB、金堂眞弥(かなどう・まさや/慶大)ぐらい。他に、関西学院大の3年生LO、島田拓実も卒業生。西南学院大や福大、国立大ラグビー部など、九州の大学ラグビーでプレーを続けている者たちもいる。
今年(2025年)は女子部員を含め、15人が新しく加わり、そのうち、中学までのラグビー経験者は3人だけ。その中のひとり、斎藤理桜奈は女子の福岡代表チームの一員として、太陽生命カップ2024/第15回全国中学生大会や全国ジュニア大会で優勝した経験を持つ。

現在の部員数は女子部員の斎藤を含め、全員で27人。3年生と2年生はそれぞれ6人で、両学年とも中学までのラグビー経験者は2人ずついる。初心者を温かく受け入れ、育むクラブ。グラウンドを訪れた5月、1年生の中には体操着で練習をする部員もいた。
部長の稲場義史先生と、監督を務める藤波宏幸先生が指導にあたっている。稲場先生は同校のOBで、同志社大を経て故郷に戻り、英語科の教員になった。レフリーとしても活躍し、2019年のワールドカップや様々なテストマッチ、リーグワンでマッチオフィシャルを務めてきた。
藤波先生は広島の庄原格致高校から福大に進み、福岡県の教員となった。2019年ワールドカップの開催推進委員会にも加わった経験があり、城南高校で指導にあたって6年目となる。
福大では日本代表、神戸製鋼で活躍した平島久照らと同期だった。
平日は月曜以外、16時30分から19時に活動し、週末も楕円球を追っている同部。ふたりの指導者は、『自主性を促す』方針を大切にしている。
ラグビーを通してのたくさんの体験は、人としての成長につながる。どんなことにも全力で取り組む人間性を備えてほしい。そうなったら、人に信頼され、可愛がられる。
この春に多くの1年生たちが部に加わったのは、2年生部員の勧誘活動が効いた。教室で、グラウンドの脇の道で、1年生を練習見学、体験に誘った。
そこに待っているのが3年生たち。上田大雅主将は、「そこで僕らが、ラグビーは楽しいものだよ、と伝えるんです」と笑う。

上田主将はLOやFLでプレーする。6歳から中学まで草ヶ江ヤングラガーズでプレーした。
「ラグビーを楽しめないと強くなれない」と考えるキャプテンは、城南高校ラグビー部に入った理由を「雰囲気を気に入って」と言った。
「半数以上が初心者のチームです。体験入部の時も、部員同士で教え合っているところを見ていいな、と」
このラグビー部が大事にしているものがすぐに分かった。
取材に訪れた日も、グラウンドには教え合いの光景があった。スクラムやタックルの基本となる『姿勢』の練習にみんなで取り組む。
タイヤに手をついて、背中をまっすぐ、膝を下げる。太ももをプルプル震わせながら必死に耐える1年生たちを上級生が囲み、声をかけ、体を支えたりする。
タックルの練習では、一つひとつの動きを分解して、丁寧に大事なポイントを噛み砕いて伝える。肩を当てる。その時の顔の向き。バインドはここ。右足はこのあたりで、左足はこっちへ。
それで相手をゆっくり倒せたら、いいねーの声。着ているものが汚れても1年生は嬉しそう。
コンタクト練習は盛り上がる。体をぶつけあい、相撲のように組み合い、押し合うとき、1年生たちにまわりから声が飛ぶ。
「いけ」
「それいけ!」
先生たちの声も、指導というより応援。押し合っている本人たち以外、みんなが笑顔だった。
城南高校ラグビー部は、三野紀雄先生が赴任した1966年に創部した。その初代監督がチームを率いていた1970年前後は、部の歴史をひも解いてみても黄金期と言っていいだろう。
福岡県から2校が全国大会へ出場できていた時期。1970年度、1971年度、1973年度と、チームは県の代表決定戦(花園予選決勝)まで勝ち進んだ。最初に九州工に6-17と敗れ、残る2大会は福岡工に3-23、10-21。大舞台を惜しくも逃している。
2015年、部の歴史が50年に届いた時に作った記念部誌に当時の部員だった方々の寄稿が掲載されている。当時の様子が伝わってきて楽しい。
例えば、九州工に敗れた試合に9番のジャージーを着ていた前田俊美さんは決勝戦を終えた夜、応援に来てくれた他部の友人らも交えてキャプテン宅でどんちゃん騒ぎをしたと告白している。そして、「俺の人格は城南ラグビー部でほとんどが形成された」と書いている。

前田さんの1年後輩の草野潔さんは入学後、3〜4人の先輩たちが教室に来て「ラグビーば、してみらんや?」と言われたことがきっかけで部に入ったとしている。草野さんは社会に出てからも、ラグビー普及に長く関わられたようだ。
草野さんの1年後輩、室中勝典さんは、三野先生語録として、「大学に何しに行くとや。なんも考えんで行くとならラグビーしときやい!」、「ラグビーできんヤツは、勉強もできんヤツが多かとじぇ!」の名言などを紹介している。
13期の村田純一さんは、日本代表としてキャップ41、フランスのバイヨンヌでも活躍した村田亙さんのお兄さん。高2の秋の試合に負けた後、悩んだ末に退部するも、結局勉強は
手につかず、数か月後に復帰して「すっきりした」思い出とともに、こんなことも書き記している。
桜のジャージーを着た弟と比較する友人に対してはいつも、「高3の時までは、自分の方が足は速かったと自慢していた」そうだ。
各ページの写真や文章から伝わるのは、仲間との距離の近さ、部の居心地の良さ、そして、高校時代もその後の人生も、ラグビーがいつも傍にある事実。人好きの集団ということもよく分かる。
その「人を愛す才能」は、2025年の部員たちも同じように持っている。当時のように県内で上位に進出するチーム力を得ることは難しくなっているけれど、教え合いの場などに流れる空気は本当に温かい。
3年生のSO、小林宗一郎は城南中のラグビー部出身。以前は野球をしていたが、坊主頭が嫌で中学からラグビーを始めた。高校でラグビーを続けるつもりはなかったが、人数が少ない状況への同情もあり、活動に加わる。そして自分の中の、ある感情に気づいた。
「部には初心者も多いのですが、その人たちが上手くなっていくのを見るのが楽しいんです。最初はできなかったタックルを、夏合宿ぐらいからできるようになったり。嬉しくなる」
お兄ちゃんかお父さんの感覚、と愉快そうに話す。

東京の大学に進学し、「全国から集まってくるいろんな人たちと交流したい」という自分の未来図を描く上田主将に対し、小林は京都の大学へ進学し、インテリアデザイナーになる勉強を進める夢がある。
椅子が好きで、かっこいいスパイクを履き、ハンドオフが得意。勝手に想像すると、自由なゲームメイクを好みそう。
そんな3年生たちが作る部の空気こそ、ラグビーとは無縁だった少年たちを惹き寄せるいちばんの魅力になっている。
1年生のひとり、田中京介がそれを証言する。名門、草ヶ江ヤングラガーズでキャプテンを務めていたほどの選手が城南を進学先に選んだのは、いくつかの学校のラグビー部を訪ね、吸った空気の中でいちばん自分に合っていると感じたからだ。
「練習に参加した時、学年という区切りをあまり感じず、一人ひとりがこうしようぜ、とチームのためになることを第一に、声を出していたんです。他の学校にはない空気が気に入って決めました」
自分自身、中学時代は、みんなでひとつになることを大事にするキャプテンだった。
2人の兄がいる。
長男の健太は東福岡高校から関西学院大学に進学し、現在ラグビー部の3年生(HO)。次男の大喜は筑紫丘高校でキャプテンを務め、今春、立命館大学のラグビー部に入った(FL)。
田中は、初心者がたくさんいる公立高校でチームを引っ張っていた次男を見て、「いろんな人がいるところで力を合わせ、ラグビーを楽しみながら一緒に強くなっていく雰囲気を知りました。それ、いいな」と思ったそうだ。
この部に入って、いま、「思った通りです。話しやすい環境がある。思ったことを言える雰囲気です。人数も多くないから一人ひとりの絆が強い。自分にとっては理想のクラブ」と感じている。
「初心者として入った同期も、一から十まで(教わる)というより、自分たちで工夫したり、そういう感じもあるんです。なので、その意欲のままでよくて、必要とされたときにアドバイスをする感じです」
158センチの小柄な体には、リーダーシップが詰まっている。平尾中ではクラス委員長や生徒会長を務めていた。
将来は、「人を導ける人になりたいと思っています」。

10月19日、城南は花園予選初戦に挑み、東筑紫学園+自由ケ丘の合同Aに69-0で勝って次戦へ駒を進めた。
その試合には1年生の初心者、林蒼依(はやし・あおい)が先発のWTB、14番のジャージーを着てピッチに立った。1番のジャージーを着たのも1年生の初心者で、リザーブメンバーにも、春にラグビーと出会ったばかりの少年たちの名が連なった。
サッカー出身の林も、部活への体験入部の時に雰囲気を気に入って入部を決めたひとり。グラウンドの隣ではサッカー部も活動しているのに、「新しいことばかりで楽しい」と、すぐに夢中になった。
春は練習試合での先輩たちのプレーを見て、「普段の姿とは違ってカッコよかった」と言っていた自分がわずかな時間を経て、公式戦で先発する立場になった。
「最初は不安もありましたが、タックルもしっかり肩を当てることができたし、勝ててよかった。次の試合までに、ステップを切る相手にもついていけるようにしたいです」
本番でビビることのないように、練習から先輩や同期に体を当て、試合では恐怖心を振り払い、肩をどんどんぶつけてタックルし、公式戦デビューを迎えた。
負けたら終わりのトーナメント。いろんなことを教えてくれた先輩たちと「できるだけ長く一緒にやりたいので、自分にできることを精一杯します」と気持ちを昂らせる。
いろんなクラブや校内から漏れてくるチャイムや音楽が入り混じって聞こえる校庭の空気を日常的に味わえるのは青春時代の特権だ。
その中で5月に聞いた、稲場先生の吹くホイッスルの音が忘れられない。
タッチフットで誰かがトライをした時だった。大舞台で何度も吹いてきたトップレフリーならではの、公式戦さながらの笛の音。
先生は、「1年生(のトライ)でしたからね。特に(力が入った)」と笑顔だった。
トライをした1年生の胸は、きっと高鳴った。そして快感が、脳を貫いただろう。またそのホイッスルを聞きたいと、走りたくなったとも思う。
気づいたら夢中になっている自分がいる。城南ラグビーのカルチャーは、そんな感じ。
