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本物の15番がいなくなるのか。はたまた有能なふたりの10番が芝の上に機能するのか。後者だった。
李承信のFBでの起用は当たった。SOは34歳の立川理道。2015年のワールドカップ以来の代表指令塔での出場である。両雄は噛み合った。
9月15日の対サモアの勝利のあとに「プレーヤー・オブ・ザ・マッチはリ・スンシン」と場内に伝えられた。そこまでの攻防を知れば順当で、かえって聞き流しそうになった。
全機会を成功させたGの精度。マヌ・サモアの存在意義でもある「ヒット」とかつて呼ばれた弾丸タックルにあおられず、こちらから仕掛け、圧力を呼び込むことのできる身体と心理の強靭。後衛より前線の攻撃ラインへ加わり、本来の10番らしく繰り出す裏へ転がすグラバー、クロスフィールドのふたつの種類のキックのスキル。すべてに実力を発揮した。
「15番としてスタートしましたけど、自分がラグビー・プレーヤーとして成長できる、いい経験でもあります」
アスリートは「成長」という単語が好きだ。みな、みずからに言い聞かせるように唱える。たまにルーティンに響く場合もある。
しかし李承信の繰り返す「成長」にウソはない。なぜなら、いま23歳だからである。ひとつの体験をかすれぬ経験に換える日々を過ごす。若さの特権だろう。
FBをわかるSOはうまくなる。反対もしかり。15番は相手の15番と駆け引きをするのでなく、10番の脳内を探るのが務めだ。「10」もまた「15」を振り回せば一流である。
この午後、FBで先発、後半途中でSOに回った本人は、取材ゾーンで録音機器に囲まれながら言った。
「キックゲームについては自分は成長しなくてはいけない。15番として、うしろから見ていく中で、どこにスペースがあるのかというのは判断できる。それを10番になってもチームとして共有できるか。そこは成長できている部分ではないかと」
強い風を背にする前半もサモアはあまりキックに執心しなかった。パシフィックネーションズカップ(PNC)では、どこかオープンなマインドで攻守に励んでいる印象だ。各国各地にちらばるルーツを同じくする者が集まり、まずは自然体で能力をぶつけて、それを結束の礎としよう。そんな感じ。
身長176㎝の不慣れだろうFBをハイボールでテストするいやらしさはない。蒸し暑い東京でも、こちらが心配になるくらい球を手に攻め続けた。もっとも李承信ならパントの雨嵐にもへっちゃらで耐えそうだ。なんといっても頑丈なのである。
いつか元日本代表監督の宿沢広朗さんがこう話したのを覚えている。
「テストマッチではうまさはもろいんだよ。最後は強さ」
1989年にスコットランドを破り、91年のワールドカップのジンバブエ戦で大会最多9トライを奪うチームをつくった知将の実感だった。「強さ」とは腕力や体格という意味ではない。気持ちを含めた「たくましさ」に近い。体の幹の丈夫さももちろんだ。
李承信が、うまいばかりの背番号10なら、ハードヒットの南太平洋勢とのまさにテストマッチでいきなり最後尾には回さない。
サモア戦の開始16分。強さがうまさを引き出した。左ラインアウト起点のタッチライン際の大きなゲイン後の展開。立川理道が前がかりになりがちなラインを巧みに制御、柔かいパスを本稿主人公へ送った。
10番のごとき15番は右奥のスペースをあらかじめ把握、タックルに仰向けにされながらキックによる前パスを授ける。ピタリとはまって14番の長田智希がインゴールへ躍り込んだ。
映像を見返して、ストップ機能を用いると、青ジャージィの12番、アラパティ・レイウアの左腕が李承信の胸の桜のあたりをがっちりとらえた瞬間、手をはなれた白いボールはまだ宙にあり、その右足に当たっていない。
なんとタックルが先だ。衝撃を浴び、現象では倒されて、なお肉と骨の芯は生きており、楕円球はここしかないところへ届いた。うまい人間が強かった。
「前半の(その)トライは長田さんからもいいコミュニケーションがあったので。ラインとしていい判断ができました」
異議などない。集団で引き寄せたトライだ。李承信のストレングスとスキルがあってのチームのスコア。
決勝進出となる49-27の白星。ジャパンの背番号15はひとりで17得点をかせいだ。6度のプレースキックをすべて成功。大会開幕より20/20と失敗はない。
「PNCが始まってからは、いい状態が維持できている。日によって(練習で)自分のキックが右にそれたり左にそれたりはあるんですが、そのつどプロセスにフォーカスしながらできている」
コメントを耳にして、あのときの花園ラグビー場の光景がよみがえった。
2016年11月13日。李承信は、大阪朝鮮高級学校の新人FBである。全国大会出場のかかる大阪府第1地区予選決勝で東海大学付属仰星高校とぶつかる。息の詰まるような接戦だった。
10-12で迎えた終了直前、大阪朝鮮は猛攻を仕掛けた。反則をどんどん奪う。劇的勝利は近づく。
なのに「ショット」でなくモールの力攻めを繰り返した。30分過ぎ。またもPGの機会がやってくる。さして難しくない位置に映った。いくらなんでも狙うだろう。決まれば逆転サヨナラだ。ところが、キャプテンのナンバー8、李承爀(リ・スンヒョ)は異なる選択をした。
モールを組んでトライラインに迫り、いかにも東海大仰星らしい執拗な抵抗に球を失った。敗北だ。勝者は同年度の全国大会で準優勝することになる。
当該のシーンを現場で見ていた。明らかな「間違い」に思えた。「いやいや、ここは狙うでしょ」。そう口にした記憶すらある。
それにしてもなぜ。李承爀主将の弟、承信はキッカーだった。ここに人情の機微というスポーツの大切なパートが現れる。
ロッカー室のそばで権晶秀(コン・ジュンス)監督に念のために理由をたずねた。
「キッカーが1年。あそこで責任を負わせることをためらいました」
実にさっぱりとした表情だった。現在は三菱重工相模原ダイナボアーズ所属の兄は述べた。
「3年が責任を持ってモールでトライしようと」
だれもが15歳のスンシンを傷つけたくなかった。
7年と9カ月の時を経て、2024年の残暑の午後。同じ「15」の数字を背に、角度をまるで苦にせず、あらかじめ定められた軌道を通すようにバーの上にボールを蹴り入れた。
早熟の才能にだって歳月の重さはある。李承信。高校1年の緊迫の場面に優しくされた。だからといって弱々しくは育たなかった。むしろ逆だ。成長のひとつのあり方である。