遺漏。もれること。欠漏。欠けもれること。ある。あります。それは避けられない。
たまたま自分が仕事でその場にいて、ウォーだとかアッと声が出た。あるいは自室にこもり、J SPORTSオンデマンドの「見逃し配信」を無作為抽出よろしくクリック、軽い気持ちで眺めるうちに、みるみるハートを持っていかれた。そんな数人の選手について記したい。イロウ、ケツロウについては御容赦を。
3月7日。降雪で延期のリーグワンのディビジョン1第7節が行われた。白ジャージィの三菱重工相模原ダイナボアーズは、黄金色の東京サントリーサンゴリアスへ挑み、とらえ、突き放し、見事に勝った。
34-15。公式記録では10分間のみ出場の英雄がいた。
佐藤弘樹。ダイナボアーズの背番号20である。後半30分にゲーム主将の7番、鶴谷昌隆(このところ存分に実力を発揮している)との交替で秩父宮ラグビー場の芝に立った。いや、立つことはほとんどなく、ただただ全身で突き刺さった。
タックル=人生。と、いまキーボードを叩いて、ただちに訂正、タックル=生活である。
二酸化炭素を吐き出し、酸素を吸うかのごとくタックル。目の前に水たまりがあるのでまたぐようにタックル。冬の早朝に表へ出て「さぶっ」とつぶやく調子でタックル。
古今東西、もちろん現在のリーグワンにも小柄な「ぶっささり派」の列は絶えない。どこのクラブにもひとりは生息している。ただし30歳、179㎝・100㎏のフランカー、佐藤弘樹ほどに「猛タックルの意味」を感じさせぬ(≪させる≫にあらず)存在はない。
他のみんなは、肩をめりこませるえげつなさは等しくとも、もう少しだけ「ああ見えての実は深い読み」や「強靭な決意」や「満ちあふれる責任感」や「賢い者ほどバカになる手本」のようなあれこれを外気へ発する。

青森北高校から札幌大学と進み、清水建設社員を経て、ここにいる人は、タックルとタックルのあいだに解釈の余地を残さない。ただ生きる。凄みの理由だ。
サンゴリアス戦の終盤に登場、最初のプレーが始まるのが後半30分8秒、相手投入ラインアウト後の攻防である。同24秒、佐藤弘樹、オールブラックスで105試合(104テストマッチ)のサム・ケインにタックル。4秒後にワラビーズで27キャップのショーン・マクマーンにタックル。さらに10秒後、日本代表キャップ12の垣永真之介にタックル。
ライターの性分で「タックル」という言葉が重なると、つい「ヒット」を用いたり、もしくは「かち上げる」や「地面に埋め込む」や「光景を消す」といった表現に置き換えたくなる。面倒な楽しみというやつかもしれない。
でも佐藤弘樹についてはあきらめよう。ざっと30秒で計3度、誇り高きインターナショナルのプレーヤーにタックルを仕掛けた。タックル。タックル。とにかくタックル。
後半40分26秒、かつて20歳の若さでロンドンの名門クラブ、ハレクインズでのデビューを果たした長身、199㎝・115㎏のジョージ・ハモンドに両脇を引き絞る理想のタックル! ありがたい同僚がたちまち乗り越え、球を奪い返し、13番、スプリングボクスで42キャップのルカニョ・アムが念押しのスコアをものにする。
「札幌大学がタックルしてスプリングボクスがトライ」
そんな内容を放送席で話したかもしれない。札幌の学生時代、ロースかつ定食にはプラスいくらかを払って「とん汁」をつけたい「かつや」でせっせと働いた。そんな無名がねじり倒し、ワールドカップ制覇の世界の顔が仕留める。チェーン飲食店アルバイトに始まり、ウェブ・エリス杯に終わる。ラグビーじゃないか。

【写真右上】昨季は入替戦も含む16戦に出場も先発は1試合だったシーウェイブスのSH南篤志。今季ここまで4試合に出場し、すでに3先発。(撮影/松本かおり)
【写真右下】伸び盛りのシーウェイブス、HO西林勇登。今季開幕からの6戦中、5試合に先発。ライナーズ戦ではトライも挙げた。(撮影/松本かおり)
同日、日本製鉄釜石シーウェイブスも鵜住居復興スタジアムに吠えた。
そこまで全勝の花園近鉄ライナーズを破る。例年、この時期に「東日本大震災復興祈念試合」として組まれるディビジョン2の公式戦。30-22。パソコンのスクリーンの地元シーウェイブスは、闘争心や活力のみならず、攻守の細部と全体のすべてに上回った。
本稿制定の「プレーヤー・オブ・ザ・見逃し配信」は、勝者の13番、ヘルダス・ファンデルヴォルトである。肉と骨と心がやはり「体を張る」に凝縮した。開始30分過ぎ。花園の4番、パトリック・タファを仰向けに引っくり返す。分厚い圧力は豪雨に暴れる川の流れを想起させた。
30歳。祖父はオランダの刑事さんだったそうだ。南アフリカのヨハネスブルグを本拠とするゴールデン・ライオンズでの出場歴を有し、2018年、若くしてヤマハ発動機ジュビロに加わった。翌19年、シーウェイブスへ転じる。
15年前の3月11日。この土地を津波が襲った。およそローカルの市民であればいつまでも抱き、深く刻む感情は、可視化できなくとも、はるか遠くに生を享けた南アフリカ人のひとつのラン、ひとつのパス、もちろん、ひとつの衝突を研ぎに研ぐ。スポーツとは、ラグビーとは、そういうものだ。
もうひとり。釜石の9番、南篤志の球さばき、ここというところの身体のたくましさに脱帽する。白状すると「こんなにいい選手だったっけ」。わが洞察のもろさを恥じた。
失礼を重ねれば、茨城の清真学園高校-慶應義塾大学の32歳、ほとんどキャリアのピークに映った。足腰が芝をつかみ切る体幹の揺るぎのなさ。失点を招くキックもなくはなかったが、円熟のハーフならではの緩急や強弱の制御で、ベンチに退くまでの61分、仲間の魂とチームの道理をつなぎ切った。
控えは、リーグワンにあって、もっともっと知られてよい実力者、宮城は気仙沼育ちのタフネス、村上陽平なのだから、なんだか白星に不思議なしという気さえしてくる。
そして2番の西林勇登の充実よ。御所実業高校-大東文化大学の釜石市役所勤務。24歳、このまま伸びれば、新日鐵釜石のフッカーの偉大なる先達、日本代表オールタイムベストのひとり、敬称略で、かの和田透の背中だって近づく。

これまで「かくもよき」に気づかずにきた。そんな「わが懺悔」リストよりおしまいのひとりを。少し前、2月7日に名古屋はパロマ瑞穂ラグビー場で凝視できた。
横浜キヤノンイーグルスの背番号4、コルマック・ダリーである。199㎝・120㎏。アイルランド出身の27歳。対トヨタヴェルブリッツの先発メンバーに名を発見、キャリアを調べ、おおむねこういう傾向のロックであるまいかと仮説をこしらえてから放送解説に臨んで、あら、よいほうへ裏切られた。
北半球/ヨーロッパ系の第2列。さっと思い浮かぶのは「遅い筋肉の強さ」である。肩のまわりでパーンと跳ね飛ばしたりカチンとぶち当たる、それらは日本列島および南太平洋系のプレーヤーが得意とする。それに対して、じわーっとのしかかり、肘から下のゆったりとしたパワーで球をむしり取ったり、モールをじわじわと押すのを身上とするのが「北側」だろうと決めつけていた。
元アイルランドU20代表のダリーは背は高いのに姿勢が低かった。ひたむきで、素早い。「地を這う」が誇張なら「胸板が地面とすぐ平行になる」。転がるボールにあっという間に身を挺した。
「コルマック・ダリー。低い。いい選手」。装着マイクに繰り返しつつ、思い込みを胸中に反省する。昔、釜石のハーフバックの母校、黒黄ジャージィの大学でスクラムを組んだ知人は、よれよれの服をまとい、デロデロの安焼酎を好んで浴びて、庶民の酒場で現場仕事に汗する常連に愛された。ちっとも「慶應ボーイ」じゃなかった。あれと同じか。