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【楕円球大言葉】石田吉平の山なりの球が教えてくれた。
ブルーレヴズ戦でラインアウトにボールを投げ入れる、イーグルスWTB石田吉平。©︎JRLO

【楕円球大言葉】石田吉平の山なりの球が教えてくれた。

藤島大

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 気体を切り裂くようなステップワークのフィニッシャーが、列の真ん中にふんわりとボールを投げて、悔しい負けにも名を高めた。

 横浜キヤノンイーグルスの右WTB、石田吉平の残した数字は「100%」である。なんとラインアウトのスロウをすべて成功させた。
 先発の庭井祐輔、ベンチより登場の中村駿太の両実力フッカーの相次ぐ負傷(HIAを含む)により、後半12分には「投げる人」が芝の上にいなくなった。
 
 最初だけ10番の田村優がアンダースロウでいちばん前へ(ちゃんと確保できた)。次からは身長167㎝のフィニッシャーが務めを引き継いだ。15分過ぎ、17分過ぎ、22分過ぎ、24分、28分、さらに35分と計6度の投入を見事にこなした。

 イーグルスの沢木敬介監督は会見で即席のスロワーをたたえた。

「本当に勝負強いと思います。7人制日本代表でやっていたし、緊急時のために吉平が投げるというプランはもちろんもっていましたが、そんなに練習しているわけじゃない」(リーグワン公式ページ)

 敵陣ゴール前の最後のひとつのみ6人が並び、残りは原則4人、前後の間隔をうんと詰めて立った。放りやすく捕りやすい位置で勝負するほかない。すると、静岡、あのセットプレーに知性と意思をこれでもかと傾けるクラブの自慢の顔ぶれが奪うことができなかった。なんとも興味深い。

 映像を追って、浮かんだ言葉はこれ。
「緻密の敵は緻密にあらず」
 トップのリーグにはプロフェッショナルの専門コーチがひしめく。対戦相手のラインアウトの傾向を分解、細部にいたるまでの対応の術を練る。
 ブルーレヴズもそうだろう。4番の大戸裕矢、この日は欠場のマリー・ダグラスは選手にしてその領域の達人である。事実、フッカーが元気であった前半のイーグルスの開始1分過ぎのラインアウトを読んで競って、まんまとミスを誘っている。

緊急事態に、4人でキチキチに並び、ラインアウトでボールを確保したイーグルス。©︎JRLO


 なのに、それなのに、石田吉平の「わかりやすく、ふんわり」のボールを見送る。準備段階の解読作業に含まれぬ「あまりにも簡潔」にむしろ対応が遅れたのか。ここのところにラグビー競技の本質がのぞいている気がしてならない。

 ラインアウトについての私的な師がいる。さっそくショートメールで「石田吉平投入で無傷の捕球。なぜ?」と送った。返信の内容は以下のとおり。

「前提として、石田のロブボールの精度が高い。そのうえで①キャッチした位置はすべて真ん中から前なのでセブンズのスロウのスキルが通用する②限られたエリアでディフェンスのタイミングをずらす組み立てをしており、ほぼ競り合うことがなかった。投入のタイミングをどうやって合わせたのかは映像ではわからない③いちばん初めに最前列の下に投げたことで静岡の前のリフターの意識をリフトだけに集中させなかった」 

 敬称略を許してもらおう。沖野玄の「個人的」と断っての見立てである。北海道は十勝の若き酪農家。函館ラ・サール高校で初の花園出場を果たしたキャプテンであった。早稲田大学4年、いまトゥールーズ所属の齋藤直人主将のもと全国制覇を果たす。
 ポジションはロックやナンバー8。新人で早慶戦のベンチに入るなど赤黒のジャージィを着たこともある。現役時代、いつでもどこでもラインアウトの頭脳として仲間から頼りにされた。

 最終学年の明治大学とのファイナル。ブレザー姿の国立競技場部員席からハーフタイムのロッカー室へ向かった。「前半の相手ラインアウトの傾向と対策」を伝えるためだ。優秀なジャンパーをあからさまにマークする。裏をかいてきてもまったく気にせず、必ず本来のところへ戻るので、そこを狙う。よく当たった。

 紫紺と白のジャージィのサインの構成は、当時3年のロックの片倉康瑛(現・サンゴリアス)が担っていた。
 のちに沖野玄は明かした。「片倉君は僕と組み立て方が似ている。考えていることが同じだと思えたのです。失礼なのかもしれませんが」。2019年度の学生でもこのくらいの駆け引きや対応に互いが励んだ。なのに2025年のリーグワンで「石田100%」は記録された。

 牛を飼う人に追加のお願い。「今回の例を見ると、現在のラインアウトは複雑に過ぎるような気がします。見解を」。これから搾乳かな、午前4時55分に次の一言が。

「考え始めるとキリがないものだと思います。野球のキャッチャーとラインアウトを組み立てる人は近い生き物ではないかと」

 同じ状況で、仮にイーグルスの「第三のフッカー」が急に投げるとしよう。支え、跳ぶ側は「スロウイングの専門家」の認識ゆえにもともとの方法をやめず、一定の複雑を保ち、でも練習でたっぷり合わせたわけではないので精度は落ちて、ブルーレヴズに学習の成果を許し、いくつかしくじる。なんて想像も頭をよぎる。

 ワールドカップ。さまざまな国内の大一番。重大な失敗の数々がよみがえって、なんだ、あの緊迫の場面、4人でキチキチに並んで、ふんわりロブのボールでよかったんじゃないかとつい思う。7人制のノウハウの援用もあってよい。

石田吉平は、この日2トライ。今季開幕からの全16試合中14戦に出場して10トライを挙げている。©︎JRLO


「複雑なことを簡潔に」。古今の一流指導者の唱えるコーチングの核心である。ラインアウトにあてはめれば「捕りたいところより捕れるところがよいところ」だ。

 先日、『なぜ超一流選手がPKを外すのか』(文藝春秋)というスポーツ書を読んだ。ノルウェーの心理学者は「外さず」の要諦をこう記す。
「時間をかけて、どこに蹴るかを見定めて、しっかりとボールを蹴る」
 当たり前は揺るがない。それ以外のものごとが意識や動作に侵入すると丸い球は枠をそれたりキーパーの手袋に収まる。ラグビーのラインアウトならこうか。
「なるだけ4人がくっついて、こうと決めたら迷わずに持ち上げ跳んで、しっかりとそこへボールを投げる」

 スロワーの耳元でジャンパーの名をささやく。あとは腕を伸ばす宙をめがけて山なりのボールを届けよう。うまく運ばずこぼれても、そんなことくらいあるさ、と、外側のラインの者たちは驚かない。細部を突き詰めて練習を積み上げた組み立てを読まれ、スティールされるより、ショックは薄い。

 スキルや戦法の追求の道は「より多く。より細かく」の側にのみ延びるのではない。「より少なく。より大まか」のほうにもずーっと続くのだ。

 複雑よ、さらば。明治大学元主将、パリ五輪のオリンピアン、24歳の石田吉平のおかげであらためて確かめられた。みずからの指より放たれた楕円の軌道を見上げる。その赤い背の「14」に乾杯。





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