冬の枯れた芝生の匂いと、夏の芝の青い匂い––––どっちが好きですか?
本格的なラグビーシーズン到来。この季節のラグビー場の枯れた芝生の匂いが好き、という方は多いのではないだろうか。一方で、夏のラグビー場の芝の青くさい匂いが好きという感覚もこのコラムを読んでくださる方とは分かり合える気がしている。
5ヶ月前の真夏の日、パリ郊外のスタジアム、ピッチへのドアが開いた瞬間に胸いっぱい吸い込んだ、エネルギーに満ちた青い芝生の匂いを、きっと私は一生忘れないだろう。
2024年のオリンピックイヤーが終わった。日本代表としての12年間を終えた。振り返って「え、12年も経った?」と言うような感覚だけど、積み重ねた古傷にはこの寒さがこたえるし、浴びた紫外線のせいでシミもシワも増えた(笑)。でもそんな身体が私には誇らしい。
日本代表選手として、私は3つのオリンピックを本気で追いかけた。初めて公式種目に採用されたリオ五輪、コロナ禍の東京五輪、そして今回のパリ五輪。子供の頃テレビで見ていたオリンピックの開会式、白と赤のスーツで闊歩する選手の姿はずっと私の憧れだった。今回のパリ五輪でようやく開会式に出ることが叶った。あんなにも憧れだった開会式のスーツに日の丸の旗の姿。恥ずかしかったけど、メンバーにお願いして、たくさん写真に撮ってもらった。
私が代表デビューを果たしたのは2011年10月、当時「ラグビーって女子もあるの!?」とほぼ100%言われたし、女子ラグビーは「今からでもオリンピックを目指せる種目」とネットに書かれているような状況だった。運と体力だけで日本代表のデビューをつかんでしまった私の7人制日本代表初キャップ、場所はインドのプネーだった。
空港からバスで4時間揺られ、辿り着いたスタジアム。国際試合だったが、試合中も野良犬が観客席を走り回っていたことを覚えている。観客は人よりも、もしかしたら犬の方が多かったかもしれない。食事が足りなくて、試合前にはポテトチップスを食べてお腹を満たしていた。1試合でも負けたら試合後の罰走が待っている。ラグビーを好きになる自信は正直、持てなかった。
そんな私が、ひと回りの時を経て、36歳で五輪の舞台に立ち、7万人近い観衆の前でプレーをすることになる。
「どないやねん」
関西出身でもなんでもない私でも(関西の方ごめんなさい)、思わずそう言いそうになるくらい、何がどうなってそうなるのだと、今これを書いていても思う。本当に、人生はわからないものだ。
ただ、その12年で、桜の重みも、ラグビーの価値も、楕円の持つ不思議な力も、自分なりに精一杯学んできた、というか刻み込まれてきた。気持ちも血も涙も、骨も筋肉も靭帯も、流れたり尽きたり切れたり繋げてもらったりしながら。
タイムマシンがあるのなら、インドでポテチをかじりながらメソメソしている12年前の中村知春に言いたい、
「ここから野良犬どころか、6.6万人の世界中の人の前でプレーできる日が来るから。辛くてしんどいことも多いけど、自分を裏切るな。信じることをやめるなよ」
今では、ラグビーが大好きだ。嘘なく、心の底から。
女子ラグビーにとって激動のような時代、もちろん私以前にたくさんの女子ラグビーの先輩達のご苦労があって女子も桜を胸に付けることが許され、自己負担なく遠征に参加できるようになった歴史がある。
それでも私にとっての日本代表としてのこの12年間は、女子のラグビーが、五輪種目となり、サクラセブンズとなり、世の中に認められていく、そんなひとつひとつの瞬間が積み重なった美しい時間なのだ。
諦めなければ、歩みを止めなければ、扉は少しずつ開くことをラグビーが教えてくれた。
忘れられないスピーチがある。セブンズの女子年間最優秀選手でもあるNZ代表のルビー・トゥイ選手が、女子ラグビー史上最高ゲームと名高い2022年の15人制ワールドカップ決勝を制した後の言葉だ。
「They said nobody cared about women’s rugby. guess what?」(女子のラグビーなんて誰も気にしない、と言われてきました。果たしてどうでしょう?)
この日、NZラグビーの聖地イーデンパークは、女子ラグビー史上最多の4万2千人で埋まっていた。人々が女子ラグビーの可能性に目を向けた大きな一歩だった。そこから、ラグビー界での男女平等は、驚くほどのはやさで整備されていった。男子16チーム10大会、女子12チーム5大会で行われていたセブンズ最高峰の大会であるワールドシリーズは、チーム数が男女ともに12となり、会場も大会数も開催地も男女で同じ扱いとなった。
そして迎えた2024年7月のオリンピック、パリのスタッド・ド・フランスは女子単独の大会期間で6万6千人の観客を動員し女子ラグビーの最多観客数を更新した。(※ちなみに日本でのラグビー国内歴代最多入場者数は2022年国立競技場で行われた日本代表vsオールブラックス戦の6万5188人)
迫力やスピードがラグビーの魅力であり華である。女子のラグビーは男子に比べると、衝撃音やスピードが違う。
それはそうだろう、でも「だから何?」。
これまでわたしは世の中のラグビーファンが魅力的と思う「ラグビー」に近づこうと必死だった。でもやっと気がついた。女子だからと卑下することなく、女子のラグビーの魅力をそのまま伝えたらいい。
ラグビーはラグビーなのだ。
女子のラグビーにあって、男子のラグビーに無いものもあるだろう。車いすラグビーも、デフラグビーも、タグラグビーも、タッチラグビーも、ブラインドラグビーも、それぞれの魅力がある。ラグビーは多様性のスポーツという言葉の通り、ありのままでいいではないか。
さて、冒頭の質問に戻ろう。
冬の枯れた芝生の匂いと、夏の芝の青い匂い––––どっちが好きですか?
【プロフィール】
中村知春/なかむら・ちはる
1988年4月25日生まれ。162センチ、64キロ。東京フェニックス→アルカス熊谷→ナナイロプリズム福岡。法大時代まではバスケットボール選手。電通東日本勤務。ナナイロプリズム福岡では選手兼GMを務める。リオ五輪(2016年)出場時は主将。女子セブンズ日本代表68キャップ。女子15人制日本代表キャップ4