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しまった。わが人生につきまとう響きである。数カ月前の東京駅での顚末。新幹線改札のそばの店にて車中の朝食をもとめ、現金で支払い、釣りをもらう。ほぼ同時にお手拭きを添えられたサンドウィッチが紙の袋に包まれて戻される。子どものころから、この「ほぼ同時」ってやつに脳が追いつかない。いくらかの小銭だけを手に、旅慣れた者にふさわしく軽やかな身のこなしでレジを離れ、あら忘れたと16号車の座席で気づいた。ここまでくると、おのれに腹も立たず「残されたポテサラサンドがかわいそう」と思った。
最新は7月6日夜の豊田スタジアム。JAPAN XVがマオリ・オールブラックスを破った。J SPORTSの実況解説席にいた。
「ニュージーランドの代表と名のつくチームに勝ったのだから絶対にえらい」と言いたかった。しかし、場内でのインタビューが続々と飛び込み、時間の配分も動き、うまく口にできなかった。
「しまった」はそのことではない。放送終了後、スタッツを記録してくれるスタッフが次のようにつぶやいた。
「オールブラックスと名のつくチームに勝ったのはえらい」
しまった。こちらの表現のほうが上だ。解説者はそう話すべき、いや、話そうと思いつくべきだった。不覚、どちらもしゃべらなかったので未遂の不覚だ。
理由はなんとなく自分でわかる。頭の中に「ニュージーランド・マオリ」が棲みついているのだ。かつてはそう呼ばれていた。「マオリ・オールブラックス」の名称は2012年からである。それまでは「マオリ・オールブラックスとつい言いそうになるが本当は違う」というふうに整理していた。
そのクセが残っている。「ニュージーランド」と「オールブラックス」が脳内に同居してくれない。
ということで、2024年7月6日の栄えあるJAPAN XVのひとりひとりは、オールブラックスと名のつくチームに勝ったのだから文句なしにえらい。
あの夜、豊田市はずいぶん蒸した。いまは冬の南半球の選手にはいくらか酷ではあった。しかし、マオリ・オールブラックスの共同主将、13番のラメカ・ポイヒピは繰り返した。
「コンディションはどちらにも平等だ」
儀礼と矜持のまざるコメントである。そして背番号9の齋藤直人、2番の原田衛の率いた胸に桜の23人は、そんな言葉を素直に受け取る資格がある。そうさ平等だ。そこで堂々と攻防を制したのである。
うれしい白星を凝視して感じたのは「ラグビー国力」の高まりである。新体制となり、国内シーズンを終えて本格的に始動、ここのところの表現は難しいけれど「名前が漢字の人間が先発に13人」の布陣で、さあ、もういっぺん、オールブラックスと名のつくチームに勝った。
もちろん指導陣の周到な準備があってこそだ。エディ・ジョーンズHCのセレクションの眼力もある。ただ限られた準備時間を考慮するなら、積み上げられた地力なしにはありえなかった。
2015年のワールドカップ、南アフリカ戦の歓喜。19年の同8強入り。足踏みに映る23年大会にしたって、プールで敗れたイングランド、アルゼンチンが4強に残った事実もあわせ、実相において誇りを放り棄てるような攻守ではなかった。
さらに国内リーグの現況、つまり各国の大物が集い(スプリングボクスはさながらリーグワン選抜のごとし)、日本のプレーヤーはポジションを競い、トレーニングをともにし、超一流の知見にも浴し、あるいは相手チームの一員で対峙、自信と実力を培った。マオリ代表級になら臆するところはなかった。
現在のリーグワンは「ハネムーン」を謳歌している。短い射程では今回の結果の示すように代表の強化を支える。
海外の出身でも出場人数に制限のかからぬ「カテゴリーA(日本代表資格/実績あり)」該当者がどんどん増えている。一例で11節の埼玉パナソニックワイルドナイツの先発FWには7人(日本国籍取得者を含む)が並んだ。内訳は「A」4名、「B(日本代表資格獲得見込み)」2名、「C(各国代表歴あり)」1名である。
ここが興味深いのだが、そうした現実が、JAPAN XV(先発FWに海外出身者はひとり)に地力を授けた。蜜月である。
もちろん将来を見すえると、いわゆる日本に生まれ育った選手の国内リーグでの出場機会が長期にわたり細くなれば、代表強化や普及の停滞をもたらすかもしれない。ここは統括組織による調査と分析の出番だろう。必要ならば規則を改めたらよい。
さて「オールブラックス」をやっつける場は実はすぐ先に待つ。日本時間7月25日午前1時開始予定。会場はスタッド・ド・フランス。パリ五輪の大舞台である。男子の日本代表は、ニュージーランド代表、その名もオールブラックス・セブンズとプール戦でぶつかる。
2016年8月9日。リオデジャネイロ五輪において男子代表はすでにやってのけている。永遠の14-12。直後のニュージーランド・ヘラルド紙の世論調査では「68%」が以下の意見に賛同した。
「セブンズ代表からオールブラックスの呼称を引きはがせ」
しまった。さっきの「ラグビー国力」の例にリオの大金星を挙げるのを忘れた。あれは8年後の7月6日の勝利と無縁ではない。桑水流裕策主将と瀬川智広監督のジャパンはえらかった。