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君たちもできる。佐藤大朗[レッドハリケーンズ大阪]
1990年4月3日生まれ。181センチ、101キロ。都立国立→慶大→レッドハリケーンズ大阪。ポジションはFL。(撮影/松本かおり)
2026.03.12
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君たちもできる。佐藤大朗[レッドハリケーンズ大阪]

田村一博

 2月は3戦全勝だった。
 今季開幕から4連敗と沈んでいたレッドハリケーンズ大阪が浮上してきた。
 7試合を終えた時点で3勝4敗。次戦、3月15日の日本製鉄釜石シーウェイブス戦に勝てば星を五分とする。

 チームが上向きになってきたのと歩調を合わせるように戦列に戻ってきたのが、フランカーの佐藤大朗だ。レッドハリケーンズが今季2勝目を挙げた2月21日の日本製鉄釜石シーウェイブス戦で久しぶりに7番のジャージーを着て、その翌週も先発メンバーに名を連ねた。

 なかなかコンディションが整わなかった。昨季途中、2025年3月に前腕の骨を2本骨折し、豊田自動織機シャトルズ愛知戦を最後に戦列から離れた。
 治療、リハビリを続けて今季は開幕戦(2025年12月13日のNECグリーンロケッツ東葛戦)に出場するも、その試合でプレートが入ったままの同じ箇所を骨折。再び試合から離れる憂き目にあった。

 2か月後、シーウェイブス戦(15-14)で復帰。その試合で7番を背負い、80分プレーすると、次節の日野レッドドルフィンズ戦(2月28日/24-21)でもフル出場(※後半13分からシンビンで10分間退場)。調子の上がってきたチームと歩調を合わせるように動き回っている。

ブレイクダウンの探究を続け、ハードにプレーする。(撮影/松本かおり)


 チームの練習にフルで参加できるようになったのは、復帰戦に向けた準備の週。最初は必死の思いで周囲についていくような状況だった。
 しかし本番では、80分プレーするパフォーマンスを見せた。ベテランの責任感は強い。試合後は、「自分としてはもっと動けるようにしていかないとと思いますが、試合に勝てた。それがいちばん大きい」と話した。

 ケガで外から試合を見ている間、チームはなかなか勝てなかった。ただ、悶々としても仕方ない。自分のできることで貢献した。
「コーチ陣とコミュニケーションが取れていたので、若手の指導やブレイクダウンについてサポートさせてもらいました。コーチの手助けなど、自分にできることをした感じです」

 4月には36歳。「選手である以上試合に出て勝利に貢献したい」と話す一方で、「若い選手たちにもっと教えていけるようにしたい」とも言う。
「コリジョンのところ、ブレイクダウンに関しては、アタック、ディフェンスとも評価してもらっています。それを試合の中でしっかり出していくとともに、周囲に伝えることも大事と思っています」

 コーチのような選手がいると、チームは隅々にまで血が通うものだ。「おじさんが頑張ってやってんだから」と若い選手たちの自主性を刺激しつつ、「足りないところは(自分が)フォローするし、コーチも助けたい」とサポートを買って出る。
「(全員で)1つのビジョンを見ているチームが強いと思う。選手の中にそれを周りに伝えられるやつがいれば、よりチームもまとまると思うので、そこをやっていきたいです」

 ブレイクダウンには一家言を持つ。チームのパフォーマンスを見て「もっとできると思います」と話したのはシーウェイブス戦を終えた時だった。
「余計なペナルティを減らし、すべてのコリジョンで、相手にもっとプレッシャーをかけられる。アタックでも、もっとフィジカル(面で強力)なブレイクダウンができると思います」

 力強いブレイクダウンを実現するため、チームはS&Cコーチらと連係してフィジカリティの強さも得ている。
「それをグラウンドでのプレーに落とし込む。ただ体が大きいのではなく、実戦で発揮できるようにしていくことが大事。練習から、もっと意識を高めていかないと」

「新規事業創出みたいな部署で働いています」。(撮影/松本かおり)


 経験を積み重ねて得た個人的なこだわりもある。「プレーを読めるようになってきた」と話すとともに、「以前から変わらないのは、はやく、低く、です。」
「(慶應)大学時代からずっと低さは意識していて、そこはトップリーグでもリーグワンでも、大きな外国人相手にも変わらずやり続けています。(質を)上げていくようにしている感じです」

 都立国立高校でラグビーを始めた。慶大を経て、2013年度にNTTドコモレッドハリケーンズに加わった。都立高校出身は、いまのリーグワンでは、他に大泉高校→立教大学の日本製鉄釜石シーウェイブス、山田龍之介だけである。

 また大学時代、Aチームで本格的に活躍したのは4年生になってからだったこともあり、一般の就職を考えたこともあった。しかし、ラグビーの楽しさを知ったからには意欲も高まり、自分でプレー集をチームに送り入団に漕ぎつけた。
 仕事とラグビーの両立は、もうすぐ14年目に突入する。

 強豪の背中が遠くに見える高校で楕円球を追い始め、仲間たちと汗と涙を流した日々は青春時代の宝物だ。10代の記憶を、「パスは胸でキャッチしろと言われていましたから、技術は何も教えてもらっていません。でも、気持ち(の大切さ)は教わった」と懐かしむ。

 選抜チームなどに加わったこともない自分が、長く、高みを目指す場所でプレーを続けられている。
「だから、厳しい環境で頑張っているラグビー部の人たちも諦めないで頑張ってほしいんです」
 自分がやれた。君たちもできる。
「可能性はゼロじゃない」

 自分の強み、カラーを持って生きることが大事だ。
「相手が嫌がることをやり続けるとか、低いプレーなど、みんなが苦手としていることが得意だといいですよね。僕自身、例えばタックルやブレイクダウン、痛くて目立たないプレーに特化して、そこでは絶対に、誰にも負けないつもりでやってきました。自分は足も遅いし、ハンドリングスキルもない。だから強みを作った」

 心を鍛えてもらった高校時代。慶大でコーチに技術的なことを教わるようになり、その後、いろんな指導者のもとで多くの知見を得られる環境に身をおけるようになった。
「それでも、結局重要なのは、教わったことをやり続けられるかどうか、それがすごく大事だと思います」
 最後は自分次第。
「ラグビーって80分。長いじゃないですか。一発のタックルで倒すことにこだわりつつ、ワークレート、動き続けて相手に勝たないといけない」

とことんプレーしたい。教えるのも好き。(撮影/松本かおり)


 難しい。だから面白い。そして、理想を追い続けていたらキリがない。
 だけど、「後輩たちに道しるべを作れるといい」と仕事でも頑張っていたら昇進もした。怪我も多くなった。「毎年、やり切ろう、と思ってやっています」というのが正直なところだ。
「昨シーズンもそうでした」

 今シーズンもピッチに立っているのは、コーチの言葉があったからだ。
 怪我をしている間、若手を指導した。そうしたら、選手に戻った時、視野が広がっているよ、と言われた。
「実際、これまで考えていなかったところが見えるようになって、(新たな)面白さがわかった。それで、(今季も)やっています」

 先の骨折時、通算12回目の手術を受けた。「今年でやり切る」と思って臨んだシーズンは、今回で何回目だろう。
 そんな人生が嫌いじゃない。




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