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頑張っている。頑張れ。大西将史[リコーブラックラムズ東京]
ブレイブルーパス戦の前半10分過ぎ、自身が蹴り込んだボールを追ってチェイス。ピンチを脱した。(撮影/松本かおり)
2026.03.03
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頑張っている。頑張れ。大西将史[リコーブラックラムズ東京]

ジャスラグ編集部

 自分たちより上位は4チームだけ。2連覇中の東芝ブレイブルーパス東京より上の順位になった。
 直近の5試合で4勝1敗。リコーブラックラムズ東京が浮上してきた。

 2月28日に鹿児島でおこなわれたブレイブルーパス戦に33-14と快勝し、その試合の前の順位をひっくり返した。
 フォワードにプライドを持つ相手に思うようにプレーさせなかった。

 その80分で勝利の一因となったのが優勢だったスクラムだ。王者がレフリーに笛を吹かれたのは19回(そのうちFK1回)。組み合った後にブラックラムズの8人が押し込み、コラプシングを誘うシーンが何度かあった。

 ここ5試合、フロントローは谷口祐一郎、大西将史(まさし)、笹川大五の3人が先発している。その真ん中に位置するHOの大西が好調なスクラムについて話す。
「1週間準備してきたことを出せた。それが結果に結びついたと思います」

今季は開幕からの全10試合に出場し、直近の5試合に先発している。(撮影/松本かおり)


 キーワードは「センターラインを取る」。組み合う瞬間、フロントローの肩の線が相手との距離の真ん中を越えたい。「8人全員でセットアップに集中できています」。
 ボール投入後も圧力をかけ続けるのか、バックスにスムーズに出すのか、フッカーとして、スクラムハーフやナンバーエイトとコミュニケーションもとっている。

 今季開幕から5戦は16番のジャージーを着ていたが、その後の5戦は先発と、大西自身も調子を上げている。ブレイブルーパス戦は、前半の40分、うまく舵取り役を務めた。
 前半10分過ぎの自陣深い位置での相手ラインアウト時、後方に抜けたボールを受け、すぐにキックして敵陣まで高速チェイス。ピンチを脱する場面もあった。

 昨季(2024-25シーズン)は10試合に出場も、すべてベンチからの出場だった。その前のシーズンも7試合に出場し(入替戦1試合含む)、2番のジャージーを着たのは1戦だけ。それだけに、5戦連続先発に充実を感じる。
「試合に出る、出ない、先発かどうかに関係なく、チームとして、全員がしっかり準備する。そこにこだわっている結果ですかね」
 特別なことはしていないと強調する。

 積み重ねの出発点は、チームに加わった2017年の春であり、遡れば、ウィニングカルチャーを学んだ帝京大時代か。
 ただチーム内には、大西のブレイクダウンの強さを高く評価する声もある。

1995年2月21日生まれ、31歳。180センチ、110キロ。上宮太子中→上宮太子高→帝京大→リコーブラックラムズ東京。(撮影/松本かおり)


 本人は「誰がそんなこと言うてるんやろ」と照れるが、「しっかり肩でコンタクトしにいく、ショルダーパンチをすることは体に染み付いています。そこで負けてしまったらうまくいかない」と、大事にしている点を言語化する。
 そしてサポートのはやさでも負けない。仲間と、相手より先に争奪エリアに入り込むことに集中する。

 好調さが増してきたチームの空気の良さを自身も感じている。勝利が重なると、一人ひとりが迷いなく判断し、動く。
 自信を深める選手たちの姿を見つめるファンも目を細める。ブレイブルーパスのキャンプ地で、同チームを応援する声の大きかった鹿児島にも、ブラックラムズファンの姿は少なくなかった。

 なかなか2番のジャージーを着ることができなかった31歳の好調ぶりを喜んでいるファンもいるだろう。
 そして大西は思う。試合に出てプレーする。チームに貢献する。そして勝つ。そんな姿が、自分と同じ症状の人の励みにもなればいいと。

 生活習慣に関係なく発症するI型糖尿病とともに生活している。
 自分がそうだと知ったのは2023年だった。2024年にかけてのシーズンが始まる前、体調を崩す。その時の検査で医師から告げられた。体重が一気に減ったりした。

「絶望した」と当時の記憶を辿る。
 家族もいる。ラグビーもしたい。そもそも病気のことを詳しく知らないから、自分がどうなるのか分からなかった。
 免疫異常でインスリンを分泌する細胞が破壊される病気。そんなことを聞いて、頭が真っ白になった。

 しかし、もともとポジティブな性格。絶望した時間は短かった。
「普通の生活を送っていくにはどうしたらいいのか」と考えた。いろいろ知ると、前向きになれた。「またラグビー選手に戻れたらいいな」と上を向けるようになった。
 ラグビーができなかった3か月。階段をひとつずつ昇った。

3連勝を喜ぶ。ブレイクダウンに強みを見せるのは、「もともとコンタクトプレーが好きなんです」。(撮影/松本かおり)


「お医者さんやトレーナーの方のサポートをいただきながら、運良く、トントン拍子に上手くいって復帰も早くできました。周りの人たちに感謝したいです。少しずつ自分の中で知識をつけていって、こうなったらこうなる、こうすると分かってきて、毎日勉強しています。上手く付き合っていくしかないので」
 いまも試合中や練習中以外は、インスリンを持続的に投入するポンプを腹部に装着して生活している。

 落ち込んだ時チームメートが、同じ病気でもラグビーをやれている人がいると教えてくれて勇気づけられたことを覚えている。「そういう話を知って、自分もやれるんだ、と思い込みました」。
 自分も、同じような存在になれたらいいと思う。
「僕みたいな方が、病気を理由にラグビーを辞めてしまうんじゃなくてそれでもやれるんだよっていうのを証明していけたらな、っていうのは思っています」。

 帝京大時代、Aチームのレギュラーに定着したことはない。そこから努力を重ねていまがある。
 大阪の上宮太子高校出身。強豪校ではないところで頑張ってオール大阪に入り、大学日本一を争うような学校に誘ってもらえた。
 大西は、歩んできたルートでも同じような境遇にある10代の若者に希望を与えられる人だ。

 7歳を一番上に、6歳、4歳、1歳、0歳と5人の子どもたちの父でもある。
 走り続ける理由がたくさんある。


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