いつも明るい。
パリからの長いフライトを終え、19日ぶりに日本に戻ってきたときも堤ほの花は笑顔だった。
8月2日、パリ五輪での戦いを終えた女子セブンズ日本代表(サクラセブンズ)が羽田空港に戻ってきた。
チームはプールステージでアメリカ(7-36)、フランスに敗れ(0-49)、ブラジル(39-12)に快勝。9〜12位決定戦にまわり、南アフリカ(15-12)、ブラジル(38-7)相手に連勝して9位となった。
サクラセブンズは、7人制ラグビーが正式種目となったリオ五輪の10位、東京五輪の12位を上回る、史上最高位となった。
東京に続いて2度目の大舞台に立った堤は今回、全5試合に出場した。
3試合に先発。(全70分のうち)42分5秒ピッチに立った。プールステージのブラジル戦では先制トライでチームに勢いを与え、後半にもトライを挙げた。大会を通して、ディフェンス面でもアウトサイドを粘り強く守った。
「結果に満足はしていませんが、みんなでやってきたことを出せたことは、すごく良かった。(9-12位決定戦で連勝して)笑顔で(大会を)終われたことも嬉しいですね」と話す。
コロナ禍の影響で予定より1年遅れて開催された東京五輪でチームは5戦全敗、最下位だった。
自分のプレーについて、「怪我もあり、自分の実力を出せなかった」記憶が残っている。
だから今回、「冷静な判断をしながらも自分で行ったり、勝負もできました。自分的には良かった」と相好を崩す。
女子ラグビー初日の観客数は6万6000人。3日間とも定員6万9000の座席は、ほぼ埋まった。
東京五輪は無観客だった。2度目の大舞台とはいっても、吸い込んだ空気は大きく違った。
「女子ラグビーでもこんなに人が入るんだ!」と心が躍った。
「そもそも、あんな大人数の場所でやったことがありませんでした。こんなに多くの人に見てもらえるんだ、って純粋に嬉しかったですね」
緊張しないタイプ。それはパリの空の下でも変わらなかった。
女子ラグビーが実施された3日間を振り返る。
アメリカとフランスに完敗した初日については、「相手が強かったのもあったし、自分たちがやり切れない部分もあった。その両面で、ああいう結果になってしまいました」。
しかし、その初日をいい意味で忘れたのが良かった。
「しっかり切り替え、2日目からは(僅かに可能性が残っていた)ベスト8を目指してもう1回頑張れた。そこはチームとしていい成長を見せられたかな、と思います」
「このままでは終われない。初日が終わり、そんな気持ちになったし、これまでみんなで戦ってきて、見せたいものがありました。それを出そうと、全員でひとつになれました」
東京五輪が開催された2021年のあと、チームから離れた期間があった(2022年)。あらためて代表に復帰したのは2023年からだ。
自分が活動から離れている間も闘い続けている仲間の姿が、「私ももう一回、みんなと頑張りたいな、という気持ちにさせてくれた」と周囲に感謝する。
いい仲間たちとプレーできている。
「自分より下の年代の選手たちの勢いと、(中村)知春さんのようなベテランの冷静さ。みんなのそんな面が掛け合ってバランスのいいチームだな、と思います」と話す。
五輪後に思いを巡らせたとき、大会前は「どうしようかな」と思っていたという。
戦いが終わり、少しゆっくりしたい。ただ気持ちは、「また頑張ろうかな」となっている。
やっぱりラグビーが楽しい。
「(日本は)もっとやれる、ということもあります」
それに加え、HSBCワールドラグビー・セブンズシリーズや五輪での戦いを通して、「いい結果を残せるようになってきたし、以前と違う楽しさが芽生えてきた」からだ。
「以前は、すごい選手たちとやれる、その人たちのプレーを間近で見られることが純粋に嬉しい気持ちが大きかったのですが、いまは、みんなの力のお陰もあり、(憧れていたようなチームと対等に)戦えている、っていう感覚があります。それが純粋に楽しいんです」
佐賀県嬉野市出身。父が作った嬉野ラグビースクールに入ったのは3歳の時。双子の弟・英登とともに楕円球を追い始めた。
佐賀工では男子部員と練習し、試合には福岡レディースで出場。日体大ラグビー部女子で実力を伸ばし、大学卒業後もディック ソリューション エンジニアリングに入社後も、日体大女子に所属してプレーを続けている。
現在27歳。パリ五輪を最後に一線から退く意思を表明している中村知春がチームを離れたら、現在のスコッドの中で年長者は1学年上の三枝千晃だけも、ラグビーをより楽しめている自分の心に正直に生きたい。
「若い選手たちと一緒にやれるのも楽しいので、もうちょっと頑張ってもいいのかな、と思っています」