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◆独自スタイルの創造と対応力。
スタジアムにエンジン音が鳴り響く。
静岡ブルーレヴズのホストゲームでは、チームの心臓、最大の武器が全開となるように、その爆音が効果音として流され、選手たちにパワーを与える。
レヴズのスクラムはバイクなどとは違い、工場で一日に何台も作ることはできない。
ただ、自分たちのこだわりが散りばめられているところは同じ。職人コーチが時間をかけ、独自のスタイルが機能するように、技術、実力と思想を一人ひとりの選手に定着させていく。
藤井雄一郎監督のもと、現在スクラム強化を担当しているのは田村義和コーチ。青森県弘前市出身のフロントローは、サンウルブズでの指導経験もある。
長谷川コーチはラインアウトとモールの指導を主にしながらも、同コーチと一緒にスクラムの大枠を作り、幹となる部分を太くする。
長谷川コーチは日本代表を指導していた際、他国とは違うスクラムで世界と戦った。
例えば相手を窮屈にさせて(間を詰めて)、力を出させない。そんな独自の考えを選手たちに伝え、意志統一した。
ただ国内で戦う時、世界と伍してきたやり方をそのまま踏襲すればいいというものではない。
「例えばレヴズの中でも前半に出る選手は 180センチない選手ばかりなのに、後半は茂原(隆由/187センチ、118キロ)、リッチモンド(トンガタマ/188センチ、122キロ)、ショーン・ヴェーテー(190センチ、146キロ)と、一気にスーパーラグビーみたいなフロントローになることがある。だから、前後半の2つの組み合わせで比べてみても同じ(組み方)ではないし、それを原則にはめていくには、やはり、いろいろ変えていく必要があります」

「そういう意味で(自分たちのスクラムの)組み方はひとつじゃない。それは、選手たちも田村(コーチ)も分かっています」と続ける。
選手たちの引き出しを増やすことこそ、コーチの仕事だ。
レヴズオリジナルのスタイルを全員で共有した上での応用編が増えていく。
「僕がいろいろ言っちゃったので(日本代表のスクラムの考え方は各チームに)知られている」と同コーチは笑う。
発信する。追っかけられる。もっと先に行く。
このサイクルで進化は続く。
例えば国内の各チームは、こちらのことを研究しているから、「相手は(レヴズは近くで組みたいと考え)距離をとってきます。そうなったら、それに応じた新しいディテールを作っていく」
コーチは、指導方法やナレッジを積み重ね、変化していくことが求められる。結果、選手が対応力を持つことにつながる。
「例えば試合の時、相手が自分たちのスクラムに対して明らかに対策を練ってきていたら、試合中すぐに対応策を伝えられたらいいし、絶対にハーフタイムまでには解決策を用意しておかないといけない」
練習の時から、選手同士が話す習慣をつける。コーチが違う手を示したとき、それに対応できる力をつける。強く芯を持ちながらも、組み方は一つではないと柔軟になるべきだ。
試合で実戦経験を積み、練習でもゲームライクな時間を過ごして、その時の相手に対しての最強、最適な組み方を見つける力をつけるには、選手が考え、コーチと多く話すことも重要だ。
ただ、試合期には若い選手はなかなか出場機会を得られず、コーチもそちらに目を向けられる時間は限られる。だからレヴズはシーズンオフを有効に使った。
昨シーズン終了後のオフシーズン、レヴズFWの一部選手たちは国内をバスで旅し、いくつかのチームを訪ねた(日野、三重、刈谷などへ)。それぞれの地でスクラムを組むことだけが目的だ。
「(メジャーリーグベースボールの)マイナーリーグのようなイメージです。前シーズンに試合に出ていない選手や新しく入った若い選手、新しく加わった外国人選手で回りました」
貴重な時間と経験になった。
「一人ひとりにちゃんと目を向けて話ができました。そして、首を強化して(首周りを)何センチにしようとか、懸垂を何回できるようにしようなど、昭和的な練習も始めました。スクラムが強くなると信じ、みんなで体を大きくしよう、と」
その練習を自主的に、継続的にやり続けている選手もいる。
「作田(駿介/HO)は55センチになりました。あの首、一度見てみてください。本当にスクラムが強くなった」
ほとんどの選手の首回りが50センチ超になった。

◆覚悟を決めた選手ならやれる。
長谷川慎メソッドに取り組めば、誰もが一人前のプロップになれるのか。
「本人がなりたいかどうかでしょうね。僕が向いていると思っても本人がやりたくないのなら勧めません。本人が本気でやりたいって思う場合は一人前に育てます。ラグビー選手はみんな、フロントローを見てきているわけですよ。フロントローのきつさとか大変さを分かった上で、そこにチャレンジしたいっていう選手は、ラグビー選手としてなんとか成長していきたいんだと思います。いまの自分はこのままじゃダメだ、とか。そういう心があるのなら、そこからは簡単かな」
他のスクラムコーチとの違いはどこに。
「なんでしょうね。他のコーチたちがどんなことをしているか分かりませんが、僕は人に恵まれています。例えば初めてヤマハに来た時には加藤圭太というフッカーがいて、プロップには山村(亮)、田村(義和)、仲谷(聖史)たち。ジャパンでは、堀江(翔太)がいて、坂手(淳史)、稲垣(啓太)、具(智元)ら。そしていま(のレヴズ)は日野(剛志)、(伊藤)平一郎たちがいる。そういった選手たちが僕と同じ考えを持って、周りの選手たちに伝えてくれる。そういった役割をしっかりしてくれる人たちがいるから、(FWやスクラムが)良くなっていると思います。当然、自分がどう考えるか、指導するかが大事ですが、誰も知らないところに行って、すぐにうまく進めようとしても大変。考えを理解し、共感してくれる人がいて内部から伝えてくれるといいですね」
どこかにあったものを持ってきているわけではない。「理論は自分で考えている」から、それは深く、変化し、進化していく。
「こういうスクラムを組みたい、という大きなイメージがありました」と出発点を思い出す。
「そこにどんどんパーツがはまっていった。いま、(隙間がなくなって)真っ黒になっています」
その状況をコーヒーに例える。
「考え方を煮詰めて、すごく煮詰めて、真っ黒になり、こうなった場合はこうなると、そういうものは全部頭の中に入っています。でも、たまに人からミルクを入れられるというか、全然違う方向から質問が来たり、全然違うアイデアをもらうと、おいしいコーヒーになるんです」
ミルクを入れるのは。
「最近だと田村でしょうね。基本的には僕と全く同じ考えだと思いながら一緒にやっていますが、これだけ長いことやっているのに全然とらえ方が違ったりする。それを聞いて、なるほどね、と思うこともあります」
選手たちの声がミルクになるときもある。
「試合を外から見ていて感じたことと、中で体感している選手が言うことが違うことがある。そういうことがあると、次はどういう対策を立てようかとか、どういうディティールを作って、どの選手に伝えようかとか、そういうことをすごく考えます」

考えに考えて作り上げた理論を、さらに密にするヒントや成長のエナジーはいつもグラウンドにある。
2024-25シーズン、東芝ブレイブルーパス東京との最初の対戦前の準備期間を思い出す。
「スタートで出るメンバーたちが後半のメンバーに押されました。後半のメンバーは、その下のモーターズに押された。そういうことがあったあとの試合は、いいスクラムを組む。うまくいかなかった時、選手たちは集まり、最後まで話し合っていた。今日はこれが悪かったとか、こういうことをしなくちゃいけないとか、その話を聞いていたら、『その通り』と思うことが多いんです。練習で普通に勝っていたら、深く考えずに試合に入ってしまっていたと思います」
日本代表のアシスタントコーチとして世界と戦った日々が自身を磨いた。
「2009年、2019年に日本でワールドカップが開かれると決まった時、日本代表のコーチになりたいなと思いました。そこがスタート。そこからは、日本代表が世界と組む時にどういうスクラムを組んだらいいか、ってことをずっと考えてやってきました」
その積み重ねの結晶が2019年と2023年のワールドカップでのスクラム。日本代表で指導にあたった8年間、自身の理論を幹とした木にはたくさんの枝葉がついて、その木はしっかりとした根を張った。
「でも、(静岡に)帰ってきて、田村(コーチ)の練習の組み立てを見たり、プレゼンを聞いたり、本人と話すと、また発見もあるんですよ」
スクラムの沼、ラグビーの沼はどこまでも深い。
世界とやり合った日々は熱かった。あの味を知った人はいつか、あの世界に戻りたいのではないか。
「間違いなく、いまはブルーレヴズ一本です。ただ、田村か僕のどっちかが、(将来の)ワールドカップにスクラムコーチで行きたいな、という話はしています。田村が行かないなら俺がやりたい。2027 年か2031年なのかは知らんけど」
細い目の奥は、笑っているのか鋭い光を放っているのか、はっきりとは分からなかった。