![背負って戦う。最終学年対抗戦デビュー、開幕2戦先発の菊池優希[明大LO]が感じる充実](https://www.justrugby.jp/cms/wp-content/uploads/2025/10/KM1_0090_2.jpg)
4年生になって初めて関東大学対抗戦に出場した。
9月14日、茨城県水戸市のケーズデンキスタジアム水戸。紫紺のジャージーを着て筑波大と対峙した明大の5番、菊池優希は、掴み取った初出場(先発)の感激と敗戦の責任の両方を強く感じた。
その日、明大は24-28のスコアで敗れた。セットプレー、特にマイボールラインアウトが乱れてリズムに乗れない。用意してきたアタックをなかなか出せなかった。
菊池は後半18分にベンチに下がった。SO伊藤龍之介のトライで17-14と逆転した直後だった。
インジャリータイムに入ってトライ(後半45分)とコンバージョンキックを決められて逆転負けとなるシーンはベンチから見た。
強く責任を感じた。積み重ねてきた努力の結果として、ラインアウトのコーラーを務めていた。
その日から2週間。9月27日の秩父宮ラグビー場には表情の和らいだ菊池の姿があった。
同日、青山学院大と対戦した明大は91-7と快勝。部内でウイルスによる感染症が蔓延したため、相手は急遽組んだメンバー。とはいえ、試合中盤からの展開は紫紺のジャージーの目指すスタイルを存分に出したものだった。
各選手がスペースに走り込んで勢いよく前に出て、ディフェンスを蹴散らした。サポートも厚く、次々とトライラインを越えた。
神鳥裕之監督は「今季の明治のスタンダードを問われる戦い、という認識で臨んだ試合でした」と話し、先制点を許した序盤戦については「宿題をもらった」と言いながらも、「80分を通して見ると学生たちが立て直し、自分たちのラグビーで戦い抜けた」と選手たちを評価した。

菊池は「まず(今季)1勝できた。それにはホッとしました」と話した。しかし前半11分に先制トライを許し、自分たちがトライを奪うまでに27分を要した序盤を厳しく見つめた。
「試合の入りで青山学院さんのアタックに後手に回ってしまいました。自分たちが思っているようにスコアできなかったのは反省です」
筑波大戦で出た課題について、「(前戦は)セットプレーを取れず、アタックできなかった。ロックとしてプライドを持ち、修正しました」と話した。「自分たちのプレーを疑うところもあったと思う」と、心の乱れも伝えた。
そんな時間を経た上で、「基本、そして自分たちのベーシックに立ち返って準備をしました」という。
青山学院大戦で明大が奪ったトライは13。菊池は後半16分までピッチに立ち、派手なパフォーマンスはなかったものの、愚直なプレーで相手にダメージを与え、仲間を生かしていた。
山形中央高校出身。高校時代は3年連続で花園の芝を踏み、2年時は勝利も挙げている(15-0/対旭川龍谷)。
ただ1年時の報徳学園戦では5-162と全国高校大会歴代最多失点で敗れるなど、強豪校出身者が多い現在のチームメートたちとは違うレベルでプレーしていた。
その人が大学4年生になって、初めて関東大学対抗戦に出場した事実は、多くの人に勇気を与えるものだろう。特に山形で楕円球を追う若者たちや後輩にとっては、夢を抱かせてくれる存在と言っていい。
小学3年生の時に山形ラグビースクールに入った。県内唯一の中学ラグビー部でプレーを続けるために山形一中に進学。山形中央高校で力を伸ばした。
明大を志望したのは、もともと「一人ひとりが強くて憧れていた」ことに加え、田中澄憲前監督に力を認められ、誘われたから。大きな希望を胸に上京した。
しかし、いろんな壁にぶつかった。
「関西出身者のテンションの違いに驚いた」と笑うが、それにはすぐに馴れたから問題なし。そんなことより、強豪校出身者のラグビーの知識と実力は自分よりはるかに上と実感した。
さらに1年時は腋窩(えきか)神経麻痺と肩を痛め、2年生時はアキレス腱を断裂。満足に練習もできなかった。
そんな状況下でも心が折れなかったのは、神鳥裕之監督がかけてくれた「逆境を楽しめ」の言葉が支えになったからだ。
「強豪校ではないところから来て、怪我。ただでさえ能力に差があるのに楽しめ、と。メンタリティーを変えないといけないんだと理解し、チャレンジする気持ちになれました」
3年時には努力を重ねられるコンディションに戻り、力を蓄えた。ジュニア選手権への出場などで経験も積み重ね、最上級生になった今年は関東大学春季交流大会の全試合(5試合/先発は1試合)に出場。周囲からの信頼も厚くなった。
関東大学対抗戦の舞台で、もっともっと暴れたい。
紫紺のジャージーを着て対抗戦の舞台に立って感じたのは、明治ラグビーへの期待の大きさが「思っていた以上」ということだ。
「それに応えないといけない。紫紺のジャージーを着たら(常に)勝ち切らないと。プレッシャーの中でも結果にこだわっていきます」と気を引き締める。
背負っているものは、他にもある。自分の活躍が故郷の少年たちを刺激することも理解している。
「諦めずに頑張り続ければ結果は出る。そういうことが伝われば嬉しいですね。そして、チャンスが訪れた時につかみ切ることも大事です」

地方の公立校から歴史ある強豪チームに飛び込むとなると、躊躇してしまう若者もいるかもしれない。菊池自身は、「家から遠い中学に、ラグビーをやりたくて通いました。そういうチャレンジする気持ちは以前から持っていて、新しい環境に飛び込むことを楽しみにするタイプ」と自己分析する。
一歩目を踏み出すには勇気がいる。しかし、その先には人生を豊かにしてくれる世界が待っていると言いたい。
飛び込みさえすれば、あとは自分次第だ。菊池の場合、人の目の届かないところで努力を重ねた。
「他の選手より力がないところからスタートしているのだから、人一倍やらないと4年間で追い越せません。特にウエート(トレ)にはしっかり取り組み、フィジカル面の強化に取り組みました。下半身と、タックルの時に大事な背中、痛めていた肩を特に鍛えました」
入学時から増えた体重は5キロだけも、体組成には大きな変化があった。186センチ、106キロの体躯は、逞しくてよく動く。
故郷の人たちの期待を感じてプレーしている22歳は、卒業後は東北のリーグワンチームでプレーを続ける。「他の地域に比べ、いま東北のラグビーが元気がないので盛り上げていきたい」と言う。
その前に、紫紺のジャージーを着て大学日本一の感激を味わいたい。そのチャレンジも楽しむ。
ラストシーズンの今季は初戦から、背番号5→4と背負うことができたが、部内競争は激しい。「毎試合、スタートの番号を奪いにいくメンタリティーでやっていきたい」と話す。
そして、「(勝つ責任を)試合の時だけ背負うのではなく、練習の時からまず4年生が団結し、声を出して引っ張っていこうと言っています」とも語る。
いろんなものを背負ってプレーすると、人は内面からエナジーが湧き出る。菊池優希はきっと、そんな感覚も得ている。