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喜んでよい。むしろ喜ぶべきだ。そのためのスポーツ、ラグビーなのだから。
2月21日の土曜。トヨタヴェルブリッツが深い沼より泥まみれの足をひとまず抜いた。ホスト拠点のパロマ瑞穂ラグビー場にて前年度覇者の東芝ブレイブルーパス東京を吹き飛ばす。52-21。スクラムで押し負けず、接点の優位をゆずらず、速さにおいても、また、ひたむきさでも圧倒した。完勝と述べて、叱られずにすむ。
もちろん終了と同時に緑のジャージィの歓喜ははじけた。なにしろ開幕節に三重ホンダヒートを44-33で破ったのち、なんと7連敗にあえいだ。まるで大学選手権を制した学生の素直さで感情はほとばしる。地元びいきのお客さんにはそれがうれしかった。
当日の試合前、ヴェルブリッツ党の女性に声をかけられた。
「笑顔でスタジアムをあとにしたのは、もう去年のことです」

12月13日の豊田スタジアム。あれ以来か。薄いはずのない選手層を抱え、サーの称号を戴く指導者を擁し、地球規模の巨大企業を背にファーストクラスの環境を有するクラブの現実だ。
本日のヴェルブリッツは何事かを成す。キックオフまで2時間弱、長く生きる者の直感は働いた。「きょうはやるでしょう。トヨタ」。そう言うと、心優しいファンは、半分弱の疑いを残す表情を浮かべた。そこで解説者として(あとで正しかったとほめられる確率の高い)魔法の文句を発する。
「アーロン・スミス。爆発しますよ」
オールブラックスの元ハーフバック。14年前より3年前まで計125キャップを得て、うちベンチからの交代出場は11戦のみ、大の字に大を重ねてまだ足りぬほどの大実力者だ。37歳を全盛とは書けない。でも、ここというところの攻守は「世界の顔」のころと遠くは離れない。
前節は敵地で埼玉パナソニックワイルドナイツに20-26と善戦できた。愛知へ戻り、勝てば軌道に乗り、敗れたらもういっぺん湿地帯へ引き戻される。本日こそは「ここというところ」だ。
無名時代は美容師見習いのアーロン・ルーク・スミスは、後半13分のラックのサイドを突く手本のごときトライ、さらに捕球には酷な球筋のボックスキックの雨嵐をもって、勢いを白星へ変換させた。
さて本題。勝利会見でサー・スティーブ・ハンセンHC(ヘッドコーチ)に聞きたいことがあった。チームは漆黒のトンネルの外へ。しかも相手は昨シーズンのチャンピオンである。充足や至福はこれでもかと発散された。そこで。
黒星続きを脱して、喜び過ぎてチームが元に戻ってしまう、もしくは、感激の勝利を機にどんどん伸びる。この差、違いを分けるものは何でしょうか?

豊富なコーチ経験にあって、一般論の「どうすれば浮かれずにすむか」を教えてほしかった。世界のどのクラブのプレーヤーやスタッフも、仮に同じ状況なら腕を突き上げ、仲間との抱擁を繰り返すのだから。ただ、ひょっとすると、隣の姫野和樹キャプテンには「きょうのトヨタははしゃぎすぎ」と受け取られたかもしれない。あとで質問の言葉の過不足を反省した。
2015年のワールドカップ戴冠監督は、誠実で正確な通訳氏のおかげで、時間をかけて答えてくれた。
「選手が主体的に自分がどういうプレーをできているかについて考えること。またコーチと選手が、自分自身のパフォーマンスはどうか、ベストを尽くせているのか、そのことについて正直な会話を持つこと。ここが担保されればチームの足並みはそろい、よりよくなれるのです」
そして。
「先週のパナソニック戦では負けたけれどもよいゲームができて、きょうは勝てた。とはいえ我々は完成品ではありません。本日はエンジョイします。でも先を見越してはならない。得られた学びを次の実践につなげなくてはならない」
国内の高校でも、スクールでも、大学でも、中学でも、よきコーチなら「勝って反省」すなわちクラブの財宝とわかっている。ただし気持ちの大きく動く勝ち星は、当事者を確実に成長させつつ、ファイナルより手前の場合、集団の底にひそむ「満足」が次の決闘に臨む足腰をぐらつかせる危険をともなう。
準々決勝で優勝候補筆頭を劇的に負かし、つい決勝に意識が飛んで、準決勝を落とす。長くキャリアを重ねる監督やアシスタントコーチなら、そんな苦い経験をおそらく積んでおられるはずだ。
そこで「正直」である。あらためてハンセンHCの伝えてくれた「みずからの行動や態度についてのコーチと選手のウソのない意思疎通」はひとつの対処法に違いない。
トヨタの痛快なほどの快勝にも素直になれず、つい「ゆるむなよ」と心配なのは、観客になるな、というジャーナリストのいましめではなく、わが、しくじりの記憶ゆえだ。

あー、あのとき、コーチとして、だらだら油断したわけではまったくないが、ほんのちょっぴり、次でなく、次の次に潜在意識の隅っこのあたりを引っ張られていたなあ、と、夜中の「はばかり」でワーッと発声したりする。
※はばかり【憚】③便所に行くこと。また、便所(広辞苑)。
2019年のワールドカップの横浜でのファイナル。南アフリカとぶつかるイングランドのウォームアップが、オールブラックスを怒涛の先制攻撃でやっつけたセミファイナルのときより、かすかに緊迫を欠いた。これは負けるぞ。そうなった。
わがセンサーの働いたのは「夜中のワーッ」のせいである。後年、東京大学ラグビー部出身の元バックスが、同じシーンに同じ感想を抱いたと教えてくれたので、この明朗な人物もきっと若き日、どこかのゲームの前に悔いを残している、と、確信した。
ラグビーとは喜怒哀楽の凝縮でもある。攻防のさなか、あるいは終了直後、うれしくてうれしくて、遠慮なしに吠えてもういっぺん吠える。そのことでチームはビッグな波をとらえる。押される側はいっそう萎縮する。かたやトロフィーを握る前の高揚という小さな穴から魂が抜けてしまった。こちらの例も消えはしない。
結論。あいだを埋めるのは長老の知恵である。66歳、元冷凍工場労働者で警察官、スティーブ・ハンセンの人生の滋味の出番が訪れる。